百万年前の晩さんグリル?…原人が植物焼いた跡



 【ワシントン=山田哲朗】人類の祖先が百万年前に火を使っていたとする調査結果を米ボストン大などの研究チームがまとめ、米科学アカデミー紀要に発表する。

 研究チームは「最も古い火の使用の証拠」としている。

 これまで火の使用については、イスラエルの遺跡で見つかった約79万年前のたき火の跡が最も古いと考えられてきた。150万年前とする研究もあるが、山火事と人為的な火の使用跡の区別は難しく、立証されていない。

 研究チームは南アフリカにある長さ140メートルの「ワンダーウェーク洞窟」の地層を顕微鏡で分析し、植物の灰や焼けた骨片を確認した。洞窟内に広く分布していることから、野火などではなく、ホモ・エレクトス(原人)が草や葉を燃やして料理していたと推定した。どうやって火をおこしたかは不明だが、同大のフランセスコ・ベルナ博士は
 「野火から取ってくることもできただろう」
としている。


(2012年4月3日- 読売新聞)
  

2012年04月12日 Posted by かるの at 14:03Comments(0)TrackBack(0)先史時代

北アメリカ先住民、起源はシベリアか


 アメリカ先住民の起源はシベリア南西部の山岳地帯にあることが、最新の遺伝子調査によって明らかになった。

 調査を行ったのはアメリカ、ペンシルバニア州フィラデルフィアにあるペンシルバニア大学で人類学を研究するセオドア・シューア(Theodore Schurr)氏のチーム。アルタイ山脈一帯に居住する複数の民族を対象にDNAを分析したところ、ある特徴的な遺伝子変異を発見。現代の北アメリカ先住民と共通する変異であることが判明した。

 シューア氏によると、シベリア人(シベリアに住むモンゴロイド系住民を指す)とアメリカ先住民とが近縁関係にあるという説は、大航海時代にアメリカ大陸を訪れたヨーロッパの探検家たちの指摘まで溯る。探検家の中にはアジアにも足を踏み入れた経験のある者がおり、シベリア人とアメリカ先住民との身体的な類似性に気付いたと考えられる。

 今回得られた遺伝学的データについてシューア氏は、「北アメリカ先住民と共通するシベリア人の基本的な遺伝子型を、より精密に特定できるようになる」と話す。

◆シベリア人とアメリカ先住民とのつながりを追う

 研究チームは1991年から2003年にかけて、アルタイ地方に点在するさまざまな民族の居住地を訪れ、遺伝子のサンプルを収集した。

 天然資源が豊富なアルタイ地方について、「はるかな昔から人間にとっては住みやすい場所だったに違いない」とシューア氏は語る。現生人類の最も近い近縁種、ネアンデルタール人の旧石器時代まで遡るという。

 研究チームは書面での同意を得た上で約500人のシベリア人からDNAサンプルを採取した。多くの人々は交通の未発達な場所に居住しており、アメリカ人と接触した経験はない。また、アメリカ、カナダ、メキシコのアメリカ先住民およそ2500人からもサンプルを得ている。

 採取の際は、地域や個人の希望に応じて、「頬の内側の粘膜」、「口内洗浄液」、「血液」の3種類から選んでもらった。

 シベリア人とアメリカ先住民のDNAを分析する際、研究チームはヒトゲノムの中から2つの対象に注目した。母親からのみ受け継ぐミトコンドリアDNA、そして父親からのみ受け継ぐY染色体である。

 長年に渡って蓄積されたこの2つの遺伝子配列の突然変異を調べれば、それぞれの民族が出現し新たな土地へ移住した時期を正確に特定できるとシューア氏は説明する。

 調査の結果、アルタイ地方の民族からは、父系由来の遺伝子配列で約1万8000年前に生じたと見られる突然変異が1カ所見つかった。現代のアメリカ先住民にも認められる遺伝子マーカーだという。

 これに先立ってシューア氏らは、シベリア人とアメリカ先住民のミトコンドリアDNAに共通の突然変異を発見している。この変異は、今回新たに見つかったY染色体の変異と同時期に発生したことも判明した。

 以上の結果はその他の遺伝子調査ともよく符号しており、アルタイ地方の民族が約1万5000年前に北アメリカ大陸への移動を開始した有力な証拠になる。ちなみに、現在シベリアと北アメリカ大陸との間はベーリング海峡で隔てられているが、当時はベーリング地峡によって陸続きになっており、アルタイ地方の民族が経由した可能性が高い。

◆アメリカ先住民の起源を正確に特定することは困難

 アメリカ先住民のDNAがアルタイ地方に由来すると考えるシューア氏の見解について、フロリダ大学の人類学者コニー・マリガン氏は、「結論を少々限定し過ぎている」と指摘する。「東アジア中央部の全域まで可能性を広げるべきだ」。

 シューア氏が発見したミトコンドリアDNAやY染色体の突然変異は、中国やモンゴルなど他のアジア地域でも発見されているからだという。「その他のアジア民族を候補から除外しないことが重要であり、同じように遺伝子変異に関する年代測定を行う必要がある」とマリガン氏は述べる。

「いずれにせよ、人間が地球全域に生息環境を拡大できたのは、自ら新たな特質を獲得して環境に適応する存在だからだ。われわれの認識を、調査結果が見事に裏付けていることだけは間違いない」。

 シューア氏の研究は、「American Journal of Human Genetics」誌2月10日号に掲載される。


(2012年2月6日- ナショナルジオグラフィック)
  

2012年02月13日 Posted by かるの at 14:06Comments(0)TrackBack(0)先史時代

人類最古のマットレス、南アで発見


 知られているものでは世界最古の“マットレス”が南アフリカ共和国で発掘された。

 アシやイグサを何層にも重ねて作られたこのマットレスは、草や葉の多い木々を圧縮して作られた寝具の山の最下層から発見された。これらの寝具は3万9000年の期間をかけて南アフリカ共和国東部のクワズール・ナタール州にあるシブドゥ洞窟(Sibudu Cave)に集積したと考えられ、最も古いものは7万7000年前にさかのぼる。

 研究を主導したヨハネスバーグにあるウィットウォータースランド大学のリン・ワドリー氏は、「われわれが発見した植物を使った寝具の集積地は、これまで世界中で見つかった同類の場所よりも5万年は古い」と述べている。

 3メートルの深さから発掘された、化石植物が圧縮された層から、これらの寝具が定期的に焼却されていたこともわかっている。これは害虫駆除やゴミ処分のためだったと考えられる。

◆虫除け用の「上掛けシーツ」

 さらに、古代人はこれらの寝具に「上掛けシーツ」を加えて使っていたと研究チームでは推測している。この「シーツ」は虫除け効果のある植物で作られ、カやアブといった人を刺す虫を避ける目的があったとみられる。

 こうした木の葉を使った上掛けは、人類による薬用植物利用の最初の事例だった可能性がある。上掛けに使われている木の葉は、シナクスモドキ属の一種(学名:Cryptocarya woodii)の葉で、昆虫を殺す化学成分を放つ薬用植物だ。

 洞窟に住んでいた古代人が寝床に潜む虫に悩まされていたという証拠はないが、こうした植物の葉を使って、ヒトジラミに対抗していた可能性はあるとワドレー氏は述べている。

◆家族全員が眠れる快適な寝具

 これらのマットレスは、使用時の高さは30センチ前後あったと推定され、「快適性が高く」、かつ「長期使用に耐える寝具だった」とワドレー氏は考えている。

 また最大で2平方メートルという大きさから、これらの寝床は一家全員が寝られる広さを備えていたとみられる。

「イヌイットやカラハリ砂漠に住むサン族(ブッシュマン)など、現代に残る狩猟採集民族には、1人あるいは2人で1つの寝床を占有するという風習はない」とワドレー氏は指摘する。

 さらにワドレー氏は「狩猟採集民族では、血縁者が集まって暮らす傾向がある」と述べた。「これは石器時代でも同じだったと推測される。両親、子供、祖父母など、すべての人が同じ寝床を使っていたはずだ」。

 今回の研究は、12月9日号の「Science」誌に掲載される。


(2011年12月9日- ナショナルジオグラフィック)
  

2012年01月19日 Posted by かるの at 14:15Comments(0)TrackBack(0)先史時代

アジアでもデニソワ人と交雑の可能性


 2010年、ヨーロッパの初期現生人類とネアンデルタール人の異種交配を示す研究が発表され、各界に衝撃が走った。さらに今回、東南アジア付近の現生人類もネアンデルタール人の姉妹グループである「デニソワ人」と交雑していた可能性が明らかになった。中国南部一帯に住む現代人の遺伝子構造の約1%はデニソワ人に由来するという。

 デニソワ人は既に絶滅した化石人類の一種であり、大きな歯を持っていたとされるが、詳細の解明は進んでいない。まったく未知の人類と考えられていた時期もある。

 最新の研究成果によると、現生人類とデニソワ人との異種交配で生まれた子孫が、現在もアジア本土に存在しているという。

 2008年にロシア南部アルタイ山脈で見つかった約4万年前のデニソワ人の指骨から抽出したDNAが、この研究の基になっている。

 2010年に「Nature」誌で発表された研究では、同じ化石のDNAを解析した結果、現在のパプアニューギニアをはじめ、南太平洋メラネシアの島々の住人とDNAの約4~6%が共通していることを突き止めた。

 しかし、アジア本土でデニソワ人の遺伝子は見つかっていない。

 研究に参加したスウェーデン、ウプサラ大学進化生物学センターのマティアス・ヤコブソン(Mattias Jakobsson)氏は、「対象範囲を広げて、旧人類の痕跡を調査した」と説明する。

◆わずかな痕跡を求めて

 ウプサラ大学の研究チームは、一塩基多型(SNP)という種類のデータを基に、DNA構成要素の遺伝的変化を測定した。SNPの遺伝子型データは数千人分が登録されているため、完全なゲノムを使用するよりもはるかに多くのデータを利用できる。

 同チームは、各人種1500人分以上のSNPデータを用いて、デニソワ人とネアンデルタール人のゲノムと比較した。

 ただし、この方法は現生人類がアフリカから世界に拡散した過程でのボトルネック効果(急激な人口減少による遺伝的多様性の減少)などの要因により偏りや誤差が出やすい。同チームでは人類拡散のさまざまなコンピューターモデルを用いてこの誤差を取り除いた。

 ヤコブソン氏によると、アジア本土におけるデニソワ人の痕跡は、メラネシア人ほど色濃く残っていない。異種交配の経緯がメラネシアとアジア本土では違ったと仮定すると説明が付くという。

 また、デニソワ人の遺伝情報を持たない現生人類が、異種交配よりも後で東南アジア本土に流入した可能性もあるという。

 しかし、ドイツのテュービンゲン大学の古遺伝学者ヨハネス・クラウス氏は、今回の研究成果に異論を唱える。「その痕跡はごくわずかだ。1%では確かな証拠とはいえない」。

◆現生人類の95%はアフリカ起源

 クラウス氏のチームは、ウプサラ大学チームよりも早い10月7日付けの「American Journal of Human Genetics」誌で相反する説を発表している。「東南アジアの約50集団から270人を対象に調査を行ったが、ウプサラ大学チームが発表したような痕跡はまったく見当たらなかった」とクラウス氏は述べている。

 アメリカ、ボストンにあるハーバード・メディカルスクールのデイビッド・ライヒ(David Reich)氏が率いたDNA解析でも、アジア本土の現生人類にデニソワ人の遺伝情報の痕跡はまったく見つからなかった。

 ライヒ氏の研究では、オーストラリア人、フィリピン人、「ウォレス線」の東側にある島の住人まで対象を広げて、デニソワ人との関係性を調査した。ウォレス線は生物の分布境界線であり、この線を発見した進化理論家アルフレッド・ラッセル・ウォレスにちなんで名付けられた。ウォレス線より西の生物相は進化の起源がアジアにあり、東の生物相はオーストラリアにある。

「このような研究では、“人類の遺伝的起源は定説よりも混在しており複雑”と結論付ける場合が多い」とクラウス氏は指摘する。

「しかし、アフリカから拡散した人類の一部は原始人類との交雑があったが、遺伝的起源の割合は5%を超えることはない。つまり、95%は5万年前にアフリカを旅立った現生人類に由来する」。

 ウプサラ大学チームの研究は、10月31日付けの「Proceedings of the National Academy of Sciences」誌オンライン版に掲載されている。


(2011年11月2日- ナショナルジオグラフィック)
  

2012年01月18日 Posted by かるの at 14:16Comments(0)TrackBack(0)先史時代

人類最古の“絵の具工房”、南アの洞窟


 内側に鮮紅色(せんこうしょく)の粉末が付着した10万年前のアワビの貝殻2枚が発見された。最古の“絵の具工房”が存在した証拠と見られている。

 発見場所は、南アフリカ南岸の町スティル・ベイに程近いブロンボス洞窟。さまざまな色の粘土状物質(オーカー)、アザラシ骨粉、炭、珪岩片、液体(水など)を混ぜ合わせた、原始的な顔料と考えられる。

 研究チームを率いた考古学者クリストファー・ヘンシルウッド氏は、「1つの貝殻は開口部が丸い石で閉じられていた。外すと、中は真っ赤に染まっていた」と語る。同氏は、ノルウェーのベルゲン大学と南アフリカのウィットウォータースランド大学に在籍している。

 洞窟では、砥石、ハンマーストーン(石器を割るための石)、小さな炉の痕跡、動物の骨など、少量の顔料を生産できる道具や設備も発見された。

 ブロンボス洞窟は、少なくとも14万年前から人類の住居として断続的に使用されていたが、オーカーは約10万年前に作られていたようだ。最古の生産設備として、記録を4万年も塗り替えたことになる。

◆化学の知識

 初期人類は長期計画の能力と化学の基本知識も備えていたようだ。「着色料の生産には油が欠かせない。彼らは、アザラシの骨が油分豊富と知っていたようだ。炭と少量の液体も混ぜていたが、炭には粘度や安定性が増す効果があると理解していた。液体は真水か海水、あるいは尿だったかもしれない」とヘンシルウッド氏は述べる。

 ブロンボス洞窟の工房で使われた材料の種類は多くないが、貝殻の中で混ぜ合わせる前にいろいろと準備する必要があった。例えば、オーカーは砕いた後すりつぶして粉末にしなければならない。アザラシの骨は加熱して油を抜いた後、粉砕処理。木材は炭焼きをしていた。

「貝殻の底には指の跡が残っている。混合物は優しくかき混ぜられていた」とヘンシルウッド氏。

 顔料の用途は不明だが、「身体や洞窟の壁に塗っていたのではないか」と推測している。

◆色合いを調節

 生産された色は鮮紅色で、適度な粘性があったようだ。鮮やかな赤色は、使用したオーカーに含まれる酸化鉄に起因する。

 貝殻からは、色合いを調節していた証拠も見つかった。「片方には黄色い鉱物“針鉄鉱(しんてっこう)”の小片も混ざっていた。色を微調整したのだろう」とヘンシルウッド氏はコメントしている。 太古の顔料に関する研究は、10月14日発行の「Science」誌に掲載されている。


(2011年10月14日- ナショナルジオグラフィック)
  

2012年01月13日 Posted by かるの at 14:17Comments(0)TrackBack(0)先史時代

欧州最古の現生人類化石と判明 4万5千年前



 イタリアや英国で発掘され、これまでネアンデルタール人(旧人)の化石として収蔵されていた乳歯やあごの骨が、最高約4万5千年前の欧州最古の現生人類と再鑑定で判明したと、英オックスフォード大などのチームが3日付の英科学誌ネイチャー電子版に発表した。アフリカで生まれ現代の人類につながる現生人類の欧州への広がりが、従来の説より早かったことを示す成果。


(2011年11月3日- 共同通信)
  

2011年11月30日 Posted by かるの at 14:01Comments(0)TrackBack(0)先史時代

豪先住民がアジアに最初に到達 アジア人より先、髪を解析



 【シドニー共同】
 オーストラリア先住民アボリジニの髪のゲノム(全遺伝情報)を解析した結果、アボリジニがアジア人よりも早い別の時代にアフリカからアジアに最初に到達し、その後にオーストラリアへ渡った可能性があるとの研究結果を西オーストラリア大などの研究チームが23日付の米科学誌サイエンスに発表した。今回の研究は、人類史を探る上で重要な発見となりそうだ。

[ 2011年9月24日 (共同通信)
  

2011年10月10日 Posted by かるの at 14:13Comments(0)TrackBack(0)先史時代

176万年前の斧、最古の原人石器発見…ケニア



 原人が作った石器としては最古となる176万年前の握り 斧 ( おの ) が、アフリカ・ケニア北部のツルカナ湖近くで見つかった。

 米コロンビア大などの国際研究チームが発見し、1日発行の英科学誌ネイチャーに掲載される。近くからは、より古いタイプの石器も見つかっており、原人石器が生み出された初期の状況を示す貴重な証拠となる。

 見つかった石器は、火山岩の周囲を打ち欠いて作った長さ20センチほどの握り斧や、つるはし状の道具。「アシュール型」と呼ばれる原人(ホモ・エレクトス)の石器に特徴的な洋梨のような形をしている。周囲の地層の磁気などの分析から、176万年前のものとわかった。原人石器を含む地層で、140万年より古いものは、年代の特定が難しく、これまで最も古いとされた原人石器よりさらに約10万~35万年古いという。


[ 2011年9月1日(読売新聞)
  

2011年10月04日 Posted by かるの at 14:05Comments(0)TrackBack(0)先史時代

南ア発見のセディバ猿人、やはり現代人の祖先?


 【ワシントン=山田哲朗】南アフリカで2008年に見つかった198万年前の新種猿人「アウストラロピテクス・セディバ」は、現代人の祖先だとする再検討結果を、南アフリカのウィットウォータースランド大などの国際研究チームが9日付の米科学誌サイエンスに発表した。

 セディバは現生人類につながる原人の祖先の候補、とする昨年の論文に批判が寄せられたため研究チームが化石を詳しく調べ、骨格の特徴などから、従来有力視されてきた「ホモ・ハビリス」よりも有力だとする考えを示した。

 同大のリー・バーガー教授は、南アの洞窟で発見した成人女性と少年の全身骨格の細部を詳しく調べた。

 脳の形は現代人に似ているものの、大きさは小さかった。また、手の骨は指で物をつかめる構造で道具を作れたとみられる一方、木登りにも適するなど、猿人の特徴と、その後のホモ(ヒト)属の特徴を併せ持っていた。ただ、全体としては、小さい脳や長い手から判断して、ホモ属ではなく、猿人に分類した。


[ 2011年9月9日 (読売新聞)
  

2011年09月23日 Posted by かるの at 14:03Comments(0)TrackBack(0)先史時代

欧州男性の半数、ツタンカーメンと同じ遺伝子ルーツ


 [ロンドン 1日 ロイター] 英国人男性の最大7割と西欧諸国の男性の半分が、古代エジプト王ツタンカーメンと同じ遺伝子ルーツを持っていることが、スイスの遺伝学者の研究で明らかになった。

 チューリヒに拠点を置く遺伝子系図研究所「iGENEA」は、ツタンカーメンと父方の家系の遺伝子プロファイルを再現。その結果、ツタンカーメンは、西欧諸国の男性の半数以上が所属するのと同じ遺伝子プロファイルグループに属していることが分かった。iGENEAによると、現代のエジプト人でこの遺伝子グループに分類される人の割合は1%未満という。

 iGENEAのローマン・ショルツ所長は、「(ツタンカーメンがエジプトではなく)欧州の遺伝子グループに属しているとの発見は非常に興味深い」と指摘。「約9500年前に共通の先祖がコーカサス地方に住んでいたと考えられる」と述べた。この遺伝子グループに属する割合は、スペイン人男性の約7割、フランス人男性の約6割に達するという。


[ 2011年8月3日 (ロイター)
  

2011年08月10日 Posted by かるの at 14:15Comments(0)TrackBack(0)先史時代

石川で世界最古のスッポン 1億3千万年前の化石



 石川県白山市の1億3千万年前の地層で見つかった甲羅の化石が世界最古のスッポンであることが28日、分かった。同市教育委員会によると、北陸一帯に分布する中生代の地層「手取層群」で1994年に見つかった。これまで最古のスッポンの化石は、福井県勝山市で発見された1億1千万~1億2千万年前のものとされていた。早稲田大などが詳しく調べ、化石は甲羅の一部分。


[ 2011年7月28日 (共同通信)
  

2011年08月07日 Posted by かるの at 14:05Comments(0)TrackBack(0)先史時代

ウガンダで類人猿の頭蓋骨化石発見、2000万年前に生息


  8月2日、ウガンダ北東部で、約2000万年前に生息していたとみられる類人猿の頭蓋骨の化石を見つかったことが明らかに(2011年 ロイター)

 [カンパラ 2日 ロイター] ウガンダとフランスの科学者チームは2日、ウガンダ北東部カラモジャ地方で、約2000万年前に生息していたとみられる類人猿の頭蓋骨の化石を発見したと発表した。

 科学者チームは7月18日、カラモジャ地方の死火山で化石を探していたところ、この頭蓋骨を見つけた。

 カレッジ・ド・フランスの古生物学者マルタン・ピックフォード氏は会見で「この時代の類人猿の頭蓋骨が、ほぼ完全な形で発見されたのは初めて。とても重要な化石だ」と説明した。

 今回発見された頭蓋骨の化石は、パリでX線調査などを行うために一旦フランスに送られ、その後ウガンダに戻されるという。


[ 2011年8月4日
  

2011年08月06日 Posted by かるの at 14:14Comments(0)TrackBack(0)先史時代

アイスマンは最後にヤギを食べていた


 アイスマン(エッツィ)の胃の残留物を分析した結果、死の数時間前に大量の野生ヤギの脂身で腹ごしらえしていたと判明した。

 エッツィは約5000年前の銅器時代のハンターで、1991年にイタリア北部のアルプス山中から凍った状態で発見された。死亡時の状況は完全には解明されていないが、背中の矢傷などから、山中を逃亡する途中で他のハンターに殺害されたという説が有力だ。

 2008年の腸内残留物の分析では、死の最大30時間前に穀物のほか、調理したと見られるアカシカやヤギの肉も食べていたと判明。しかし胃の内視鏡でのサンプル採取は失敗した。内視鏡が届かなかった理由は翌年、CTスキャン画像の分析で明らかになった。胃が適切な位置になく、本来は肺の下部があるべき辺りまで死亡後に移動していたのだ。

 イタリア北部ボルツァーノにあるミイラ・アイスマン研究所の微生物学者で、研究に参加したフランク・マイクスナー(Frank Maixner)氏によると、「上方へ移動した理由は不明」だという。

 エッツィの胃は、周囲臓器の調査から発見された。胆嚢(たんのう)中の胆石などを見つけ、相互の位置関係から胃を特定できたという。自然にミイラ化したエッツィの胃はかなり萎縮していたが、残留物のサンプルは採取できた。腸と同じように、肉や小麦の痕跡が見つかったという。

 さらに、一部が未消化で残っており、相当な量の食事を取った後、2時間以内に死亡したようだ。「残留物の色は黄色や茶色で、ほとんどが形を留めていなかったが、肉や穀粒など固形物も一部あった」とマイクスナー氏は説明する。

 DNAの分析結果から、胃の中の肉はアイベックスと判明した。山ヤギの一種で、オスの頭部からは後方に湾曲した巨大な角が伸びている。

 当時、アイベックスは今よりはるかに多く生息し、肉を狙うハンターの絶好のターゲットだったはずだ。臆病な動物で人の気配を感じるとすぐ逃げてしまうが、熟練したハンターなら条件次第で近くまで忍び寄ることができる。「例えばオス同士のケンカ中なら、20~50メートルぐらいまで接近できる」とマイクスナー氏は言う。エッツィが所持していた弓矢なら射程の範囲内だ。

 マイクスナー氏は、「肉が調理されていたかどうかは不明だ。ただし腸内からは、加熱処理で発生したと見られる灰の粒子が見つかっているため可能性は高い」と指摘する。胃の中からは獣毛の束やハエも見つかっている。あまり衛生的な食事とは言えないようだ。「追われている途中ではゆっくり調理している時間もなかったと思う」。

 今回の研究成果は、2011年6月にカリフォルニア州サンディエゴで開催された第7回ミイラ研究世界会議(7th World Congress on Mummy Studies)で発表された。



[ 2011年6月24日 (ナショナルジオグラフィック)
  

2011年07月31日 Posted by かるの at 14:01Comments(0)TrackBack(0)先史時代

イギリスで新石器時代の人骨を大量発見


 イギリス、スコットランド北部にあるオークニー諸島のサウス・ロナルドセー島で、約5000年前の墓が発見された。内部には新石器時代の大量の人骨が納められていた。

 墓は、自宅の眺望のために庭を整地していた男性が偶然掘り当てたという。その後、この家に引っ越してきたハミッシュ・マウアット(Hamish Mowatt)さんが重大性を推測し、天井の石板の間からカメラを降ろしてみた。すると先史時代の頭蓋骨が、泥まみれの多数の骨の上に置かれているのを発見。連絡を受けた関係当局も2010年から本格的な調査に乗り出した。

 「考古学的遺跡だとはそれまで誰も気づかなかった」
と、オークニー諸島の考古学を研究するジュリー・ギブソン(Julie Gibson)氏は言う。

 6月に発表されたギブソン氏の報告によると、「バンクス墓(Banks Tomb)」と命名されたこの遺跡は、部分的な発掘調査により、新石器時代にまで遡ると確認された。荒らされていない新石器時代の墓がスコットランドで見つかったのは約30年ぶりだという。

 「これほど保存状態が良い遺跡が見つかるのは珍しい。多数の遺骨が納められており、それぞれ別の年代と考えられる」
と同氏は述べている。

 墓は、幅0.75メートル、奥行き4メートルの中央の部屋と、周囲の砂岩を切り出して造られた4つの小部屋からなる。中央の部屋は風雨で傷んだ大きな厚板で蓋をされ、石壁と石柱が支えている。

 発掘された頭蓋骨の破片は1000個以上。性別、年齢ともにばらばらで、乳児も含まれていた。人骨はそれぞれ異なるシルト(細かい泥)の層から出土しており、何世代にもわたって使用されていた可能性があるという。

 また最初の調査で、人骨の中から先史時代のカワウソの骨と糞が見つかっており、「カワウソの墓(Tomb of the Otters)」とも呼ばれている。

 どうも当時の人々は、それほど頻繁に墓を訪れていなかったらしい。

 「墓は密閉されておらず、カワウソが出入りを繰り返していた。つまり、1~2年おきにしか墓参りや埋葬に来ていなかったと考えられる」
とギブソン氏は指摘する。

 オークニー考古学研究センター(Orkney Research Centre for Archaeology)が率いる発掘調査はまだ始まったばかりだが、
 「新石器時代の埋葬習慣を解明する重要な手掛かりが得られることは間違いない」
とギブソン氏は自信の程をうかがわせる。

 例えば、人骨のDNA分析や同位体分析により、血縁関係の有無のほか、島で緊密な関係を構築していた共同体なのか、外部から来た人間の遺骨も含まれているのかなどを明らかにできるという。

 また、儀式的な目的で墓から人骨が取り除かれていないかも調べられる予定だ。
 「この墓には非常に多くの遺骨が眠っている。他の石器時代の墓では、これほど多いことは珍しい」。

「カワウソの墓」から1.5キロほど離れた場所には、約5000年前の墓地遺跡「ワシの墓(Tomb of the Eagles)」がある。最近の調査によると、新石器時代にオークニー諸島で営まれていた酪農集落の生活はあまり平和ではなかったようだ。

 ワシの墓から出土した頭蓋骨の20%以上に、鋭利な武器や鈍器で激しく殴打されたとみられる傷跡があった。カワウソの墓の頭蓋骨にも同じような傷跡がないか、調査が進められている。

 「新石器時代の暮らしは、愛と平和をうたうヒッピーのようなイメージがあったが、実際には暴力的な儀式が行われていた証拠が出てくるかもしれない」
とギブソン氏はコメントしている。


[ 2011年7月8日 (ナショナルジオグラフィック)
  

2011年07月03日 Posted by かるの at 14:15Comments(0)TrackBack(0)先史時代

1万年前に「緑の革命」…丈低いイネ選んで栽培



 約1万年前に野生の稲を栽培種にする時、古代の人たちは草丈の低いものを選んで育てたことが、名古屋大や神戸大などの研究でわかった。

 1960年代の「緑の革命」は、草丈の低さに着目して栽培種を選んだことが収量を飛躍的に増やす要因だったが、古代の人たちも、形質の遺伝する仕組みが解明されるずっと前から、経験的に遺伝子の違いを上手に活用したらしい。米科学アカデミー紀要電子版に7日発表する。

 研究チームは、稲の草丈を調整する遺伝子「SD1」に注目。アジアで自生する野生種と栽培種の一種「ジャポニカ米」の遺伝子の違いを調べた。SD1の働きが抑えられると、草丈が短くなり、風で倒れにくく収量が増える。ジャポニカ米では、調べた20品種すべてが活性の弱いSD1を共通して持っていたが、42品種の野生種ではこのタイプのSD1を持っているものはなかった。野生種は、様々なタイプのSD1を持っていたが、ジャポニカ米では、この遺伝子の多様性が極めて少なく、栽培化の過程で、背の低いタイプを選抜したことが裏付けられた。

[ 2011年6月7日(読売新聞)
  

2011年06月14日 Posted by かるの at 09:51Comments(0)TrackBack(0)先史時代

5000年前の顔、アイスマン復元


5000年前の顔、アイスマン復元
Image courtesy Heike Engel/21Lux Sudtiroler Archaologiemuseum and NG Deutschland

「エッツィ(Otzi)」または「アイスマン」として知られる、5000年前のミイラの最新復元モデル。オランダ人アーティスト、アルフォンス・ケニスとアドリー・ケニス兄弟が作成した。なめし革のような肌にはしわが目立ち、目元は深くくぼんでひげが覆っている。従来の“がっしりとした中年男性”のイメージとは大きく異なり、年齢より老けた顔立ちになった。

 特筆すべきは茶色の目だ。アイスマンの虹彩は青色が定説だったが、近年の研究が覆したという。

 最新の3D技術でミイラの全身をスキャンした復元モデルは、イタリアアルプスの氷河で発見されてから20周年の節目に開催される展示「Otzi 20」の目玉となる見込みだ。イタリア北部、ボルツァーノの南チロル考古学博物館で2011年3月1日~2012年1月15日まで公開される。

「科学的な側面に限定せず、一般の人々にも親しみやすい展示を心がけた」と同博物館館長アンジェリカ・フレッキンガー(Angelika Fleckinger)氏は声明で述べている。


[ 2011年2月28日 (ナショナルジオグラフィック)
  

2011年03月09日 Posted by かるの at 21:16Comments(0)TrackBack(0)先史時代

初期人類、足に土踏まず…地上生活への移行示す



 【ワシントン=山田哲朗】370万~290万年前にいた初期人類アウストラロピテクス・アファレンシス(アファール猿人)は、アーチ形で土踏まずがある現代人と似た足を持っていたとする研究結果を米ミズーリ大の研究者らがまとめ、10日発行の米科学誌サイエンスに発表した。

 人類は約300万年前には樹上生活を捨て、地上生活に移行していたことを示している。

 アファール猿人は、1974年にエチオピアで見つかった推定身長110センチ・メートルの女性「ルーシー」の化石で知られる。直立二足歩行をしていたと考えられていたが、カギとなる足の指の骨が見つかっておらず、木に登ることもあったか議論が続いていた。

 研究チームは、エチオピアで新たに発掘された約320万年前のアファール猿人の足の甲の骨(中足骨)を分析。現生人類の足と同様に足の裏がアーチ状になり、歩行時に地面をけったり衝撃を吸収したりできたと確認した。二足歩行が完成し、地上生活に完全に適応していたことになる。


[ 2011年2月12日 (読売新聞)
  

2011年02月17日 Posted by かるの at 09:16Comments(0)TrackBack(0)先史時代

泥炭湿地から頭蓋骨、鉄器時代の少女


 ドイツの泥炭湿地で発見され、採掘機によりバラバラになっていた鉄器時代の少女「モーラ(Moora)」の頭蓋骨。鈍器による生前の外傷も残っているという。毎冬の食糧不足によると思われる栄養不良の痕跡があり、背骨も曲がっていた。過酷な人生だったようだが、直接の死因ははっきりしない。

 衣服は残されておらず、
 「もし綿やそれに似た素材なら、泥炭の酸で分解されてしまったのだろう」
と、ニーダーザクセン州文化財保護局の古生態学者アンドレアス・バウロシェ(Andreas Bauerochse)氏は話す。モーラが生きていた鉄器時代、遺体は火葬されるのが普通だった。また、宝飾品なども発見されていないため、調査チームは土葬が意図的だったとは考えていないという。

[ 2011年2月3日 (ナショナルジオグラフィック)
  

2011年02月05日 Posted by かるの at 09:15Comments(0)TrackBack(0)先史時代

アメリカ古代人はイヌを食料にしていた


 最新の研究によると、アメリカ、テキサス州の洞窟から発見されたイヌの頭蓋骨片を分析した結果、北アメリカでは9400年前という早い段階で既にイエイヌを飼育し、食料にしていたことが判明したという。

 見つかった骨の破片は成人の小指のツメほどの大きさだったが、イヌ科の動物で、右側の後頭顆(こうとうか)の一部であるとまず確認された。頭蓋骨の底で脊椎と接する部分である。さらに詳しい遺伝子検査が行われ、オオカミやコヨーテ、キツネなどではなくイヌの骨と確定した。

 研究チームの一員でアメリカにあるメイン大学気候変動研究所のサミュエル・ベルナップ3世氏は、 
 「イヌの家畜化の証拠で、従来の説よりおよそ8000年繰り上がった」
と話す。
 「遺伝子検査によってイエイヌの骨と判明したケースは以前にもあったが、アメリカ大陸での最古の記録が大幅に更新された」。

 さらに見つかった場所も意外で、人間の排泄物の中に含まれていたのである。つまり、アメリカ大陸で飼われていたイヌは、雑務やペット目的以外の役割があったと考えられる。

 「破片は消化管を通過できるほどのサイズだが、排泄物に含まれるものとしてはかなり大きかった」
とベルナップ氏は話す。
 「こんな大きい骨を人間が飲み込んでいたとは、非常に驚くべきことだ。古代人は現代人ほどしっかりと食べ物をかまなかったらしい」。

 今回のイヌの骨は、2009年にアメリカのテキサス州南西部にあるハインズ洞窟(Hinds Cave)で発見された。考古学的調査を進めた結果、9000年以上前、この洞窟に狩猟採集民族の一団が住んでいたと考えられている。ただし素性についてはまだ明らかになっていない。

 ベルナップ氏は、発見した骨をオクラホマ大学に送り、分子人類学者セシル・ルイス氏が率いる研究チームに遺伝子検査を依頼した。

 DNA分析によるイヌの起源は、4万年前~1万5000年前、人類がハイイロオオカミ(タイリクオオカミ)を家畜化して誕生したと考えられている。

 ベルナップ氏の研究チームは、骨の大きさから、ハインズ洞窟のイヌの体重を11~14キロ程度と推定しており、メキシコやペルーに生息する犬種に似ていたのではないかと考えている。

 グレートプレーンズに住むスー族などアメリカ先住民の一部はかつて、アラスカ州のイヌイットがイヌぞりを操るように、物資の運搬にイヌを利用していたことが考古学的調査により判明している。

 また、15世紀から始まる大航海時代にスペイン人宣教師や初期のヨーロッパ人探検家が記した歴史記録によれば、アメリカ大陸の各地で食料不足に陥った場合、また儀式の最中にイヌを食べる文化があったとされている。

 さて、イヌの骨が埋まっていた排泄物は既に乾燥していたが、骨を実際に取り出すのはかなり“汚い仕事”だったようだ。骨はすぐに発見されたわけではない。排泄物に水を加えて元の状態に戻し、出来上がったその“混合物”をこし器に通して何が含まれているか検証する過程で見つかったのだ。

 「かなりの年代物だったが、水で戻すと疑う余地のないにおいが漂い始めた」
とベルナップ氏は振り返る。
 「骨を取り出す作業のときには、みんなを脅して追い払ったよ」。

 ベルナップ氏の努力は報われた。以前の古代のイヌ科の骨も、実は家畜だった可能性が出ている。 
 「骨の由来を特定する際には、最新技術を広く活用して判断するべきだろう。イヌ、コヨーテ、オオカミの違いを区別し特定する方法として、形態学だけに依拠するのは時代遅れだ」。

 今回の研究成果は、次号の「American Journal of Physical Anthropology」誌に掲載される。



[ 2011年1月19日 (ナショナルジオグラフィック)
  

2011年02月03日 Posted by かるの at 09:03Comments(0)TrackBack(0)先史時代

人類の出アフリカは定説より早かった?


 初期現生人類の出アフリカ時期が定説より2万年早まるかもしれない。アラビア半島の太古の石器を発掘した研究者が発表した。

 約13万年前、氷期の地球で温暖化が進行し、海水面が下がった。アラビア半島には航行可能な湖や河川も出現して、人類の水上移動が容易になったという。かつては乾いた砂漠だったアフリカ北部地域に中東への新たな移動ルートが生まれ、約20万年前に出現した初期人類に出アフリカのチャンスが訪れたと見られる。

 アラブ首長国連邦の砂漠遺跡で発見された約12万年前の石器類も、新説の有力な証拠となる。

 初期人類は約6万年前、ナイル渓谷や現在のエチオピア経由でアフリカを出たと考えられてきた。しかし太古の石器の発見により、現在のソマリアあたり、いわゆる“アフリカの角”から直接半島へ渡った可能性が出てきた。しかも、道具はアフリカ独特のデザインが施されているという。

 ドイツのテュービンゲン大学を退職した植物考古学者で、研究共著者のハンス・ペーター・ユルプマン(Hans-Peter Uerpmann)氏は、1月26日の記者会見で次のように話している。
 「出アフリカは文化面の発達が後押ししたと考えられてきたが、どうやら環境変化が主な要因のようだ」。

 太古の石器類は、アラブ首長国連邦のジャベル・フェイ(Jebel Faya)遺跡で2003年から2010年にかけ発見された。手斧など一部の道具は、以前は初期アフリカだけで見られた両面加工が施されているという。

 年代特定にはルミネセンス法を用い、石器に付着した砂粒の自然発生放射線を測定した。

 気候データについては、洞窟の石筍(せきじゅん)から太古の湖や河川の気候記録を調査し、紅海の水位変動も調べたという。比較的温暖だった約13万年前は、アラビア半島で降水量が増加。人類は、出現した河川を船や筏(いかだ)で下っていた可能性がある。

 イギリス、オックスフォード・ブルックス大学の自然地理学者エイドリアン・パーカー氏によると、この時期は紅海南部の水位が落ち込んでいたという。約4キロの航程でアラビア半島にたどり着けるため、人類にとっては海を渡る絶好の機会だったようだ。

 半島に渡った初期人類は分散し、その一部が約12万5000年前までにジャベル・フェイに達したと研究チームは見ている。

 ナショナル ジオグラフィック協会のジェノグラフィック・プロジェクトを率いる遺伝学者スペンサー・ウェルズ氏は、「非常に興味深い発見」と評している。最近は、アラビア半島の特に海底が考古学的発見のホットスポットとして注目されているからだ。初期人類が移動した時期、ペルシア湾は肥沃な河川デルタ地帯だった。

 しかし、「人類移動の歴史が書き換えられたわけではない」という。同時期の石器が以前にイスラエルで見つかっているからだ。このため、中東への移動時期が早まる可能性は前々から示唆されていた。

 また、中東への最初の移住者がわれわれの祖先である証拠もない。遺伝子もろとも既に死滅している可能性がある。ウェルズ氏のDNA調査によると、現生人類の起源は6万年前のアフリカにさかのぼる。「両者は容姿も似ていただろうし、それほど遠縁ではなかったと思う」と同氏は述べている。

 この研究成果は、1月28日発行の「Science」誌に掲載されている。


[ 2011年1月28日 (ナショナルジオグラフィック)
  

2011年01月31日 Posted by かるの at 09:06Comments(0)TrackBack(0)先史時代