築120年の古民家全焼…東京・世田谷「三田家住宅」
築120年の「三田家住宅」が焼けた火災現場(17日午前7時35分、東京・世田谷区深沢で)=菅野靖撮影

17日午前6時5分ごろ、東京都世田谷区深沢の区立深沢二丁目広場敷地内に、同区が一般展示用に保存していた築120年の「三田家住宅」の母屋から出火、木造一部2階建て約280平方メートルを全焼した。
土蔵も一部が燃えた。けが人はなかった。警視庁玉川署で詳しい出火原因を調べている。
同区教育委員会などによると、三田家住宅は、旧農家の住宅で、母屋は1889年に建築された。母屋の屋根が 茅葺 ( かやぶ ) きの寄せ棟造りになっており、当時の富農を象徴する造りを今に残す貴重な建物だったため、同区が1998年に所有者から無償で借り受け、日中は内部を無料で一般公開していた。前日は休館日で施錠されていたという。
[ 2009年2月17日 (読売新聞)
2009年02月28日 Posted by かるの at 17:26 │Comments(0) │TrackBack(0) │文化財保護
頭を割ったら銘文=奈良・興福寺の波羅門立像
奈良市の興福寺が所蔵する木像「波羅門(ばらもん)立像」修理のため頭部を横の切れ目に沿って外したところ、継ぎ目に作者の銘文が見つかり、17日、興福寺が報道機関に公開した。
銘文には4行にわたり縦書きで「□□シンヤ 源三郎 天正五年四月 三十日」と墨書きされている。源三郎は16世紀の室町後期から安土桃山時代初期に活躍した大工系の仏師「宿院仏師」の1人。
宿院仏師はほとんどの作品に銘文を入れるが、通常は体内などに書かれ、頭を割って書かれるのは極めて珍しいという。同寺は「この木像は一木造で場所がなかったので、大体出来上がった後に頭を切って書いたのではないか」と推測している。
銘文には4行にわたり縦書きで「□□シンヤ 源三郎 天正五年四月 三十日」と墨書きされている。源三郎は16世紀の室町後期から安土桃山時代初期に活躍した大工系の仏師「宿院仏師」の1人。
宿院仏師はほとんどの作品に銘文を入れるが、通常は体内などに書かれ、頭を割って書かれるのは極めて珍しいという。同寺は「この木像は一木造で場所がなかったので、大体出来上がった後に頭を切って書いたのではないか」と推測している。
[ 2009年2月17日[時事通信社]
2009年02月28日 Posted by かるの at 09:24 │Comments(0) │TrackBack(0) │歴史史料
<すだれ麩>茨城・結城の伝統食 晴れた朝に天日干し
風通しをよくしたビニールハウス内で天日干しされるすだれ麩=茨城県結城市で2009年2月2日午前8時42分、馬場理沙撮影

茨城県結城市で伝統食「すだれ麩(ぶ)」の天日干しが、よく晴れた冬の朝の風景になっている。
すだれ麩は、小麦粉から取り出したグルテンが主原料で、弾力のある生地を竹製のすだれに延ばし、塩をすりこんで重ねて煮固めたものをよしずの上に並べて天日で乾燥させる。できあがるまで約1週間かかる。モチモチした食感が特徴で、植物性たんぱく質が豊富で低カロリー。古くから冠婚葬祭などに出される郷土食で、ごま酢あえや煮物など料理法もいろいろ。
1910年の創業以来、すべて手作業で作り続ける渡邉製麩店の3代目・渡邉修一郎さん(60)は
「おいしいものを作ろうとすると、結局手作業になっちゃうね」
と笑う。問い合わせは同店(0296・33・2450)。【馬場理沙】
[ 2009年2月18日 (毎日新聞)
2009年02月27日 Posted by かるの at 21:26 │Comments(0) │TrackBack(0) │歳時記
春呼ぶ「谷汲踊」、鳳凰の羽思わせ華麗に
太鼓を打ち、色鮮やかなシナイを背に舞う谷汲踊(18日、岐阜県揖斐川町で)=谷之口昭撮影

岐阜県揖斐川町 谷汲 ( たにぐみ ) の華厳寺周辺で18日、「谷汲踊」(県重要無形民俗文化財)があり、 鳳凰 ( ほうおう ) の羽に見立てた竹製の「シナイ」(長さ4メートル)を背負った保存会員が、華麗な舞を披露した。
源平合戦で源氏の勝利を祝った「鎌倉踊」が由来とされている。横笛やホラ貝の音に合わせて舞う「シナイ」の動きに、約7000人の観光客らが見入っていた。
[ 2009年2月19日 (読売新聞)
2009年02月27日 Posted by かるの at 17:27 │Comments(0) │TrackBack(0) │民俗行事
滋賀で最古級の木製網代 5世紀、豪族居館に使う?
滋賀県日野町の番場遺跡で、5世紀後半(古墳時代中期)の国内最古級の木製網代が見つかり、滋賀県文化財保護協会が17日、発表した。
当時の豪族の家をかたどった家形埴輪には、外壁や屋根の覆いに網代が表現されており、建築部材だった可能性があるという。木製網代は薄く細長い板を平面状に編んだ物。
当時の豪族の家をかたどった家形埴輪には、外壁や屋根の覆いに網代が表現されており、建築部材だった可能性があるという。木製網代は薄く細長い板を平面状に編んだ物。
[ 2009年2月17日(共同通信)
2009年02月27日 Posted by かるの at 09:25 │Comments(0) │TrackBack(0) │考古学(埋蔵文化財)
播磨国の平城京事務所か 8世紀後半、瓦出土
平城京跡で出土した播磨産の軒丸瓦(上)と軒平瓦

奈良市の平城京跡で、播磨国(現兵庫県南西部)の役所など公的機関だけに使われた8世紀後半の瓦が出土、地方政府の「平城京事務所」に当たる「調邸」跡の可能性の高いことが奈良市埋蔵文化財調査センターの調査で14日、分かった。地方政府の出先機関の存在を裏付ける遺物が平城京跡で見つかったのは初めて。
調邸は、朝廷に納める税のうち特産物の「調」を保管などに使われたとされる。
[ 2009年2月14日 (共同通信)
2009年02月26日 Posted by かるの at 17:26 │Comments(0) │TrackBack(0) │考古学(埋蔵文化財)
鬼追われ、冬も終わり…奈良・長谷寺で火祭り「だだ押し」
大たいまつを従え、本堂の周りを暴れ回る赤鬼(桜井市の長谷寺で)

奈良県桜井市の長谷寺(小野塚 畿澄 ( きちょう ) 管長)で14日、邪気を払う鬼追いの儀式「だだ押し」が行われた。
参拝者らは春を思わせる陽気のなか、大 松明 ( たいまつ ) を担いだ数人を従えた3匹の鬼が、奇声をあげ、本堂の周りを駆け回る光景に見入った。
本堂の本尊・十一面観音 菩薩 ( ぼさつ ) 像(重文)前での法要の後、ほら貝と太鼓を合図に赤、青、緑の鬼が本堂から追い出された。鬼は参拝者らにうなり声を浴びせて暴れたが、僧の法力で退散。参拝者らは無病息災のお守りにと、松明の燃えかすを拾っていた。
「だだ押し」は、新年を迎える法要「 修二会 ( しゅにえ ) 」を締めくくる火祭りで知られ、大勢の写真愛好家らが詰めかけた。
[ 2009年2月15日 (読売新聞)
2009年02月26日 Posted by かるの at 09:25 │Comments(0) │TrackBack(0) │民俗行事
華やかに女の節句、和紙の「吊し雛」でお祝い
草加市で展示されている吊し雛(草加市立歴史民俗資料館で)

埼玉県草加市住吉の市立歴史民俗資料館で、珍しい和紙製の「 吊 ( つる ) し 雛 ( びな ) 」が展示されている。
鳥取県の流し雛が源流とされ、女の子が初節句を迎える際に、女衆が安産の象徴である犬や神様の使いとされたウサギ、毒消しのダイコン、大願成就のナスといった縁起物を端切れで作り、ひな人形の脇に吊して飾ったのが始まりとされる。
会場には、市内の愛好家たちが作った19連、1000個あまりの縁起物が吊され、華やかな女の節句を演出。1912年(明治45年)に作られた雛人形も展示されている。同資料館で働く柳路テルさん(67)は
「私も参加した吊し雛教室の生徒が3か月かけて作った小ぶりな吊し雛もあります。ぜひ見に来て」
と話していた。
展示は3月5日まで。
[ 2009年2月15日 (読売新聞)
2009年02月25日 Posted by かるの at 17:25 │Comments(0) │TrackBack(0) │歴史を学ぶ
五穀豊穣祈り威勢良く、石川・菅生石部神社で「竹割り祭り」
勇ましいかけ声とともに青竹を割る若者たち=細野登撮影

石川・加賀市大聖寺敷地の 菅生石部 ( すごういそべ ) 神社で10日、若い衆が竹を威勢良く割ることで1年の五穀 豊穣 ( ほうじょう ) を祈る「竹割り祭り」が行われた。
田や畑を荒らす大蛇を竹でたたき、退治したという伝承にちなむ伝統行事。白装束にわらじ姿の地元の青年38人が、「わっしょい」と声を上げながら、2メートルほどの竹約400本を、次々に参道の敷石にたたきつけて割り、大蛇に見立てた長さ約20メートルの大縄を、近くの川に放り込み、豊作を願った。
割れた竹には、無病息災の御利益があるとされ、見物人らが拾い集めていた。
[ 2009年2月11日 (読売新聞)
2009年02月25日 Posted by かるの at 09:25 │Comments(0) │TrackBack(0) │民俗行事
五人ばやしが見物客を魅了…熊本・八代で「お雛祭り」
五人ばやしの装いで演奏する八代白百合学園高の箏曲部員ら(熊本県八代市で)

熊本県八代市の「城下町やつしろのお雛祭り」が14日、本町・通町商店街を中心に始まった。3月8日まで。
本町1のがらっぱ広場でオープニングセレモニーがあり、みずほ保育園太鼓隊の元気な演奏で幕開け。八代白百合学園高の箏曲部員らが、五人ばやしの衣装などを身にまとって優雅な琴の音をかなで、見物客らを魅了し、牛車隊などがアーケードを練り歩いた。
商店街にある4か所の休憩所では、おかみさんたちが作ったひな飾り、千代紙人形や「さげもん」などが並んでいる。
このほか、週末を中心に無料の映画祭、八代うまかもん・物産市などが開かれ、空き店舗(22店)の内覧会(20日まで)もある。
問い合わせは、市商政観光課(0965・33・4115)へ。
[ 2009年2月15日 (読売新聞)
2009年02月24日 Posted by かるの at 17:25 │Comments(0) │TrackBack(0) │歳時記
「さげもんめぐり」園児のおひな様パレードで開幕
「おひな様始祭」で、あでやかな衣装に身を包み、パレードする園児たち(11日午前、福岡県柳川市で)=秋月正樹撮影

福岡県柳川市に伝わる独特のひな飾りがまちを彩る「柳川 雛 ( ひな ) 祭り・さげもんめぐり」の始まりを告げる「おひな様 始祭 ( はじめさい ) 」が11日、同市中心部であった。
お内裏様やおひな様の格好をした園児約30人が台車に乗ってパレード。同市の日吉神社から西鉄柳川駅までの約4キロを練り歩き、沿道の観客やドライバーらのため息を誘った。
さげもんは、古布で編んだ柳川マリやウサギ、梅などの縁起物をつり下げ、初節句を迎える家庭に飾るのが習わし。1995年から市内の商店や一般住宅でも自慢のさげもんを飾る観光事業として定着した。
4月3日まで。3月1日に還り雛祭、15日におひな様水上パレードなどが催される。
問い合わせは実行委員会(0944・73・2145)。

福岡県柳川市に伝わる独特のひな飾りがまちを彩る「柳川 雛 ( ひな ) 祭り・さげもんめぐり」の始まりを告げる「おひな様 始祭 ( はじめさい ) 」が11日、同市中心部であった。
お内裏様やおひな様の格好をした園児約30人が台車に乗ってパレード。同市の日吉神社から西鉄柳川駅までの約4キロを練り歩き、沿道の観客やドライバーらのため息を誘った。
さげもんは、古布で編んだ柳川マリやウサギ、梅などの縁起物をつり下げ、初節句を迎える家庭に飾るのが習わし。1995年から市内の商店や一般住宅でも自慢のさげもんを飾る観光事業として定着した。
4月3日まで。3月1日に還り雛祭、15日におひな様水上パレードなどが催される。
問い合わせは実行委員会(0944・73・2145)。
[ 2009年2月12日 (読売新聞)
2009年02月24日 Posted by かるの at 09:23 │Comments(0) │TrackBack(0) │民俗行事
在日韓国人の強制退去、韓国側が拒否…70年代外交文書で判明
【ソウル=前田泰広】
日本政府が1970年代後半、日本で犯罪を犯した在日韓国人を韓国に強制退去させようとし、韓国政府が受け入れを拒んでいたことが、韓国政府が12日公開した外交文書で明らかになった。
拒否された日本側は、強制退去対象者を北朝鮮に送還する可能性を韓国側に「暗示」したとしている。
外交文書によると、韓国政府は「韓国に生活基盤がない」などとして強制退去対象者20人の受け入れを拒否。在日韓国大使館は78年7月、「日本政府が北朝鮮に送還することを暗示した」と分析し、「日本との協議で1人の受け入れを決めた」と韓国外務省(現外交通商省)に報告した。だが同省は、「受け入れられない」と大使館に再協議を指示したとされる。
日本政府が1970年代後半、日本で犯罪を犯した在日韓国人を韓国に強制退去させようとし、韓国政府が受け入れを拒んでいたことが、韓国政府が12日公開した外交文書で明らかになった。
拒否された日本側は、強制退去対象者を北朝鮮に送還する可能性を韓国側に「暗示」したとしている。
外交文書によると、韓国政府は「韓国に生活基盤がない」などとして強制退去対象者20人の受け入れを拒否。在日韓国大使館は78年7月、「日本政府が北朝鮮に送還することを暗示した」と分析し、「日本との協議で1人の受け入れを決めた」と韓国外務省(現外交通商省)に報告した。だが同省は、「受け入れられない」と大使館に再協議を指示したとされる。
[ 2009年2月12日 (読売新聞)
2009年02月23日 Posted by かるの at 17:24 │Comments(0) │TrackBack(0) │近現代史
砂かけ合い豊穣・息災祈願…奈良・廣瀬神社
砂をかけ合う黒装束の牛(中央)と参拝者たち(河合町の廣瀬神社で)

雨に見立てた砂をかけ合う奇祭「砂かけ祭(御田植祭)」が11日、奈良県河合町川合の廣瀬神社(樋口俊夫宮司)で行われた。
参拝者らが砂まみれになりながら、五穀 豊穣 ( ほうじょう ) や無病息災を祈願した。
拝殿前の広場を田んぼに想定し、地元の消防団員が白装束の 田人 ( たびと ) や黒装束の牛にふんして登場。周囲の参拝者に 鋤 ( すき ) で砂をかけると、参拝者も次々と砂をかけ返した。砂のかけ合いを何回も繰り返し、最後に早乙女が田植えの所作を行って儀式を締めくくった。
砂のかけ合いが盛んなほど稲作に必要な雨に恵まれ、砂をかぶれば厄よけにもなるとされる。参拝者は雨がっぱやゴーグルなどで防備しながら、手いっぱいに砂をつかみ、巻き上げていた。同町広瀬台、河合第2小2年山田健人君(8)は
「思いっきり砂を投げることができて、楽しかった」
と笑顔で話した。
[ 2009年2月12日 (読売新聞)
2009年02月23日 Posted by かるの at 09:26 │Comments(0) │TrackBack(0) │民俗行事
「寒の荒行」終えた修行僧、仕上げの水行…鎌倉・長勝寺
何度も水をかぶる修行僧たち(11日、鎌倉市の長勝寺で)

「寒の荒行」を終えた修行僧が冷水をかぶり、国家安泰を祈願する恒例の「 大国祷会 ( だいこくとうえ ) 」が11日、鎌倉市材木座の長勝寺で行われた。
昨年11月に千葉県市川市の法華経寺にこもり、1日に睡眠約2時間、かゆの食事2回、水行7回など、100日に及ぶ過酷な荒行を終えた修行僧20人が、仕上げの水行をして、荒行を成し遂げたことを示す。
大勢の参拝客が見守る中、ひげが伸びた20人の僧は、下帯姿で水行場へ。経文を大声で唱えながら、手おけで何度も水をかぶって身を清め、国家安泰や世界平和を祈っていた。
[ 2009年2月12日 (読売新聞)
2009年02月22日 Posted by かるの at 17:26 │Comments(0) │TrackBack(0) │歳時記
古唐津無残、史跡指定「阿房谷下窯跡」が盗掘…佐賀・伊万里
佐賀県伊万里市が昨年10月、窯跡として初めて市史跡に指定した同市松浦町の「 阿房谷下 ( あぼんたにしも ) 窯跡」が、指定の約1か月後に盗掘されていたことがわかった。
窯跡から出土する古唐津の陶片狙いとみられ、市教委は地権者と協議して伊万里署へ被害届を出す方針。
市教委によると、同窯は1590~1610年ごろ古唐津を焼成。全長43メートル、約20室あったとみられる。昨年11月7日に職員が訪れた際、大小6か所の盗掘跡を確認した。大きい穴は最大幅2・4メートル、深さ50センチあり、陶片が散乱していた。
古唐津の陶片はオークションで高値で取引され、盗掘の標的となっている。このため、市は市文化財保護条例を改正し、盗掘など史跡を破壊した場合の罰則の上限を昨年10月、「1年以下の懲役か禁固」に引き上げたばかりだった。市教委の文化財担当者は「地域住民とともに監視体制をさらに強めたい」と話している。
◆新たに盗掘2か所◆
同市教委は6日、阿房谷下窯跡で新たに2か所の盗掘跡を確認した。同窯跡の被害は今回を含め16回。市内には約80の窯跡があり、うち、10窯跡が2000年4月から現在まで延べ59回盗掘の被害にあっている。
[ 2009年2月7日 (読売新聞)
2009年02月22日 Posted by かるの at 09:26 │Comments(0) │TrackBack(0) │文化財保護
日本兵捕虜6千人の死亡者リスト、佐賀のNPOがネット公開
佐賀県みやき町のNPO法人「戦没者を慰霊し平和を守る会」は18日、米国立公文書館で見つかった太平洋戦争中の日本兵捕虜ら約6000人の死亡者リストを同会のホームページ(HP)で公開した。
リストは、同会の依頼を受けた東京の調査会社「ニチマイ」が発見。読売新聞がローマ字表記の氏名をカタカナにしたうえで埋葬地などを翻訳してデータベース化した。
[ 2009年3月18日 (読売新聞)
<日本兵捕虜>十数人、佐世保で埋葬か 米公文書死者リスト
米国立公文書館で見つかった、太平洋戦争で米軍の捕虜となり死亡した日本兵約6000人のリストのうち、少なくとも十数人は長崎県佐世保市で荼毘(だび)に付され、埋葬されたとみられることが分かった。遺骨の収集・返還活動をしている佐賀県みやき町のNPO法人「戦没者を慰霊し平和を守る会」が6日、リストの十数人が、同市の戦没者霊園の名簿と一致したと発表した。
同会の塩川正隆副理事長(64)が昨年、同市江上町にある戦没者霊園「釜墓地」を訪れた際、霊園の護持会が保管する名簿に、遺体でフィリピンから運ばれ、同市で火葬された4515人の氏名が片仮名で記載されていることを確認。今回、米公文書館で見つかったリストのうち既に手元に届いた分の一部と付き合わせたところ、十数人が一致したという。【山下誠吾】
[ 2009年2月6日 (毎日新聞)
南方で捕虜死亡の日本兵6千人リスト、埋葬地など記載
太平洋戦争で捕虜となった後に死亡した日本兵ら約6000人の氏名、埋葬場所などを記したリストが米国立公文書館で確認された。
NPO法人「戦没者を慰霊し平和を守る会」(佐賀県)の依頼を受けた調査会社が見つけた。
埋葬場所は米ハワイやインドネシア、フィリピン、インド、沖縄など広範囲にわたり、遺骨の特定が進んでいなかった南方の戦域での遺骨発見や人物の特定につながる貴重な資料となりそうだ。
発見されたのは、米国の戦争捕虜に関する情報機関が1952年3月に作成した「日本兵捕虜死亡者リスト」。計約400ページで、日本の軍人、軍属について、一部重複の可能性があるが、5979人のローマ字表記の氏名、所属階級、捕虜番号、死亡日、死因、埋葬場所の墓地名が記されている。
同会は戦没者の遺骨・遺品収集と遺族への返還をボランティアで行っており、昨年7月、フィリピン・レイテ島のパロ地区の住民から「米軍が日本兵を埋葬した」という目撃情報を得たため、米軍資料の調査などを手がける「ニチマイ」(東京都)に依頼。同社が昨年8~11月、米国立公文書館でレイテ島の戦闘報告書など数万枚を調べ、リストを発見した。パロについては、墓地の位置を示す地図も見つかった。
同会は今後、リストに掲載された氏名などを会のホームページに掲載して情報を募るとともに、地図が見つかったパロには4月にも訪れ、遺骨の発見を目指す。
厚生労働省は来年度から、日本兵の埋葬場所などを特定できる資料があるかどうか、戦勝国の軍事資料調査に乗り出す。同省は「これまで捕虜の埋葬場所を記した資料を確認したことはない」としている。
[ 2009年2月1日 (読売新聞)
2009年02月22日 Posted by かるの at 09:24 │Comments(0) │TrackBack(0) │戦記
「お水取り」舞台の設計図 江戸期に再建、東大寺所蔵
江戸時代に再建された奈良・東大寺二月堂の設計図。北側から描いたもの(奈良国立博物館提供)

1200年以上の歴史を誇るお水取りの舞台で、江戸時代に再建された東大寺二月堂(奈良市)の設計図が、同寺に所蔵されていることが6日分かった。
二月堂再建の記録はほとんど残っておらず、貴重史料として注目されそうだ。設計図は昨年11月、東大寺図書館が所蔵史料を整理中に確認。正面に当たる西側からと北側から描いた2枚で、いずれも縦2・2メートル、横3-3・4メートル。
[ 2009年2月6日(共同通信)
2009年02月21日 Posted by かるの at 17:24 │Comments(0) │TrackBack(0) │歴史史料
鹿島鉄道記念館、茨城・小美玉市に開設
「地元の方に来てほしい」と話す加藤さん(茨城県小美玉市川戸で)

2007年3月末で廃線となった鹿島鉄道(石岡-鉾田)の歴史を後世に伝えていこうと、存続運動にかかわった都内在住の健康食品会社経営、加藤三千尋さん(39)が中心となって、茨城県小美玉市川戸に「鹿島鉄道記念館」を開設した。4月から一般に公開する。
加藤さんは元々ローカル線が好きで、テレビで知って鹿島鉄道の存続運動に加わった。廃線が決まった後は、
「歴史ある車両が消えるのはもったいない」
と私財で車両3両などを購入し、存続運動の関係者や鉄道愛好家など約20人で「鹿島鉄道保存会」を結成、土地の購入など記念館建設の準備を進めてきた。
記念館は木造平屋建て約400平方メートル。展示物は保存会の仲間が持ち寄り、仕事の合間をぬって集まってはレイアウトなどを考えたという。加藤さんは
「鹿島鉄道への思いがどんどん膨らんで、あっという間に展示物が増えた」
と話す。
記念館には、鉄道沿線の中高生で結成された「かしてつ応援団」が手がけたラッピング車両など車両3両や、旧玉里駅の上りホームの待合室、季節ごとの鹿島鉄道の写真など約500点が展示されている。
[ 2009年2月10日 (読売新聞)
2009年02月21日 Posted by かるの at 09:24 │Comments(0) │TrackBack(0) │文化財保護
飛鳥浄御原宮の北に大型建物跡…想定超える規模を確認
出土した大型建物跡(左)と砂利敷きの広場(右)=奥村宗洋撮影

奈良県明日香村の飛鳥京跡で、天武、持統両天皇の 飛鳥浄御原 ( あすかきよみはら ) 宮(672~694年)の北限とされてきた溝の北側から、大型建物跡など2棟が出土し、県立橿原考古学研究所が9日、発表した。
同宮が南北800メートル以上の規模だったことが確実になり、同研究所は「宮の北限についてはさらに、調べる必要がある」としている。
2007年に見つかった石組みの東西溝の東側で同様の溝が見つかり、その北側で小さな建物跡が出土。さらに東約60メートルで、東西15メートル以上、南北7メートル以上の大きな建物跡や砂利敷きの広場(南北約15メートル)を確認した。この建物跡は何らかの役所で、広場に役人が整列して儀式などを行ったとみられる。
[ 2009年2月9日 (読売新聞)
<飛鳥京>宮域北側に拡大 大規模な建物跡見つかる 奈良
飛鳥京跡の外郭で見つかった大規模な建物跡(左手前)と石敷き広場(右奥)=奈良県明日香村で2009年2月9日午前11時37分、大西岳彦撮影

奈良県明日香村の飛鳥京跡で、天武・持統天皇の飛鳥浄御原宮(きよみはらのみや)(672~694年)時代の大規模な建物跡(東西15メートル以上、南北7メートル以上)などが見つかり、県立橿原考古学研究所が9日、発表した。建物跡は06年度の調査で宮の北限ラインと想定された石組み溝から北へ展開しており、南北800メートルと考えられた宮域はさらに拡大することが明らかになった。
飛鳥寺南門跡の南約100メートル付近を計約300平方メートル調査した。建物跡の全体像はまだ不明だが、少なくとも宮の内郭の建物に匹敵する規模で、外郭で確認された建物としては最大。南北にひさしを持つ切り妻造りとみられる。建物の南面には、こぶし大の石を整然と敷き詰めた広場(東西8メートル、南北15メートル)も見つかった。役所的な施設が考えられ、広場で役人が儀式をした可能性もあるという。
宮の範囲は、これまでの調査から東・西・南限がほぼ確定。北限は、当時は役所だったとされる石神遺跡まで南北約1.4キロに拡大するとの説もある。
林部均・同研究所総括研究員は
「時代が下り、整備が進むに従って宮の範囲が拡大したのでは。飛鳥寺や石神遺跡まで取り込んでいたとしてもおかしくない」
と話している。
【林由紀子】
[ 2009年2月9日
2009年02月20日 Posted by かるの at 17:25 │Comments(0) │TrackBack(0) │考古学(埋蔵文化財)
アジャンタ石窟の壁画保存へ調査団派遣…東京文化財研究所
インド中西部にある世界文化遺産「アジャンタ 石窟 群」の仏教壁画を保存・修復するため、東京文化財研究所は12日、調査チームを現地に派遣する。
日本のチームがインドの世界遺産の保存・修復にかかわるのは初めて。同研究所は、バーミヤン(アフガニスタン)と敦煌(中国)の壁画の保存・修復を手がけており、今回の調査により、法隆寺金堂を含めたアジア全域の壁画の影響関係の解明につながると期待している。
アジャンタ石窟群には、壁や天井に、釈迦誕生をはじめとする釈迦の生涯を、テンペラ技法で壁画に描いているほか、インド最大級の 涅槃 ( ねはん ) 像も存在している。同研究所は、大小30ある石窟のうち、二つの石窟を調査する。調査期間は2年。
[ 2009年2月10日 (読売新聞)

