<有形文化財>関学大時計台など116件を答申 文化審議会

 文化審議会(西原鈴子会長)は19日、兵庫県西宮市の関西学院大学時計台(旧図書館)など建造物116件を登録有形文化財に登録するよう、塩谷立文部科学相に答申した。

 時計台は米国出身の建築家、ウィリアム・メレル・ボーリズの代表作の一つで、1929年に完成した。他に答申された主な建造物は
▽北海道立根釧農業試験場農具庫(北海道中標津町)
三条市歴史民俗産業資料館(新潟県三条市)
河合家住宅主屋(奈良県橿原市)
神龍橋(広島県神石高原町)
真宗大谷派四日市別院本堂(大分県宇佐市)――など。【加藤隆寛】


[毎日新聞6月19日]
  

2009年06月30日 Posted by かるの at 21:17Comments(0)TrackBack(0)文化財保護

輪島塗、最古の漆精製道具見つかる…江戸後期の量産裏付け


 年号など書かれた江戸後期の漆精製用大鉢と四柳館長

 石川県輪島市の県輪島漆芸美術館は19日、嘉永3年(1850年)の年号が入った輪島塗では最古の漆精製用大鉢(クロメ鉢)が見つかったと発表した。

 室町時代に小産地化し、江戸時代後期に量産化が始まったとされる輪島塗だが、1910年(明治43年)の大火で、それ以前の漆器製作の道具類はほとんど残っておらず、貴重な資料という。

 クロメ鉢は、小判型の曲げ物づくりで長径約90センチ、幅約75センチ、深さ約17センチ。底裏には、「嘉永三年」の年号や「河井町」の地名のほか、他の歴史文書にも登場する 塗師 ( ぬし ) (漆器商)「松九(松屋九兵衛)」の名前が墨書されていた。

 同館が漆文化を紹介する常設展示の開設に向けて今年5月、漆器関係者や市民に道具類の提供を呼びかけ、茶平良雄・輪島漆器商工業協同組合副理事長(60)が寄贈した。茶平さんの父が 骨董 ( こっとう ) 集めが趣味で、納屋に保管されていた。

 ウルシの木から採取した生漆を、大型のクロメ鉢を用いて 櫂 ( かい ) でかくはんしながら、天日で精製する作業は、分業、量産化が進んだ江戸時代に始まったと考えられてきたが、年代を特定できる物的資料は見つかっていなかった。漆工芸史が専門で、調査に当たった四柳嘉章・同館長は
 「量産化の“生き証人”で、輪島塗の歴史を語る上で重要な資料。全国的にも貴重」
と話している。

 同館では、開館20周年となる2年後までに国内外の漆文化を紹介する常設展示を計画しており、その中で展示する予定。また、8月には昨年10月に亡くなった漆工芸史研究者・灰野昭郎さんの漆工芸などの蔵書約5000冊も公開し、作品の展示だけでなく、漆文化の拠点となる美術館を目指していく。


[ 2009年6月20日 (読売新聞)
  

2009年06月30日 Posted by かるの at 14:02Comments(0)TrackBack(0)産業史

色鮮やかな藍の若葉、宙に舞って…徳島・上板の「藍粉成し」

 「藍粉成し」で選別のため飛ばされる藍の葉(13日、徳島県上板町で)=吉野拓也撮影

  藍 ( あい ) 染めの原料にする藍の葉を風の力で選別する作業「藍 粉成 ( こな ) し」が、徳島県上板町で始まり、色鮮やかな若葉が宙に舞っている。

 藍師の佐藤昭人さん(70)方の庭では、職人らが、長さ約1・5センチに刻んだ藍を大型扇風機の前に少しずつ落とし、茎より軽く遠くまで飛ぶ葉を選別。佐藤さんは
 「少雨で成長は遅れているが、葉は肉厚で高品質」
と満足そう。

 作業は8月下旬まで続く。葉は天日で乾燥後、9月から約100日間発酵させて藍染めの原料「すくも」にし、全国に出荷する。


[ 2009年6月17日(読売新聞)
  

2009年06月30日 Posted by かるの at 09:16Comments(0)TrackBack(0)地方文化

「僕は悲観をしない」太宰16歳の詩やエッセー、原稿発見


 太宰が本名の「津島修治」になぞらえて、「辻魔羞兒」の筆名で書いた詩「試合と不平」

 19日で生誕100年を迎えた太宰治(本名・津島修治)が青森中学在学中の16歳の時に書いたとみられる原稿28枚が、同窓で同人誌仲間だった画家の故・阿部 合成 ( ごうせい ) さん(1910~72年)の長男で陶芸家の 和唐 ( わとう ) さん(71)の都内の自宅で発見された。

 原稿は全部で4作品。「(大正)十四年七月三日」の日付、「辻魔羞兒」の筆名で「勇士は立ちぬ スックとばかり」と書き出される「試合と不平」と題された詩(3枚)、「辻魔首氏」の筆名で、芥川龍之介「侏儒の言葉」をまねたコント「侏儒になぞらひ」(1枚)、戯曲「虚勢」(21枚)、これら3作を解説した「(同)十四年十月五日」の日付のあるエッセー(3枚)が、和唐さんの母親のタンスに納められていた。「虚勢」以外は全集未収録で、太宰が中学3年の時、合成さんらと作った同人誌「星座」に書いたとみられる。

 エッセーでは、1年時に作文を褒められたが2、3年になると「慢心を起こしたのか」「カラキシ駄目になった」、それでも「僕は悲観をしない。僕にはまだ細いながらも自信があるからだ」と書く一方で、「 閑 ( ヒマ ) があれば遊ぶし、遊んだあとはつかれるし思うやうには行かない」と無邪気な悩みを吐露している。

 安藤宏・東大准教授(国文学)は、
 「詩が単独の作品として書かれたものは見たことがない。後の屈折した文学に至る以前の、天真 爛漫 ( らんまん ) な少年時代がうかがい知れる、極めて重要な発見」
と話している。

 ◆「桜桃忌」墓前にファンの列◆ 

 太宰治が眠る東京都三鷹市下連雀の禅林寺の墓前には早朝から大勢のファンが詰めかけた。6月19日は玉川上水で入水自殺した太宰の遺体が見つかった日で、 桜桃忌 ( おうとうき ) と呼ばれる。

 午前8時頃から続々と熱心なファンが訪れ、墓前に手を合わせた。酒が好きだった太宰にと缶ビールや日本酒を供えたり、サクランボを墓石に刻まれた文字に詰めたりしていた。


[ 2009年6月19日 (読売新聞)
  

2009年06月29日 Posted by かるの at 21:16Comments(0)TrackBack(0)人物伝

「ホレホレ節」 その歌に込められた日本人移民の思い

 ソウル・フラワー・モノノケ・サミットのみなさん

財団法人アリオン音楽財団は2009年7月22日、東京都港区の草月ホールにて、コンサート「<海を渡った移民ソング>桃源郷へ~ハワイ生まれの日本民謡『ホレホレ節』」を開催する。

「ホレホレ節」は19世紀末(明治・大正期)、ハワイに渡った日本人労働移民が自らの手で生み出した日本民謡。「ホレホレ」とは、サトウキビの枯葉を手でかき落とす仕事を意味し、炎天下での作業のもと、即興的に生み出されたものだ。歌詞は七七七五の句型で、日本語、ハワイ語、英語をまじえながら、当時の生活を伝える内容となっている。

当日は3部構成。ハワイ出身で沖縄4世のアリソン・アラカワさんがホレホレ節を披露。フランクリン王堂さんがレクチャーするほか、沖縄民謡で知られる大工哲弘さんがハワイや台湾で生まれた移民ソングを披露。また、日本の労働歌などを中心に歌活動を展開するソウル・フラワー・モノノケ・サミットによるライブも控えている。

18時開場、18時半開演。チケットは4000円(全席自由)。
アリオンチケットセンター03-5301-0950


[ 2009年6月17日 (J-CAST)
  

2009年06月29日 Posted by かるの at 14:16Comments(0)TrackBack(0)講座・説明会案内

<雑記帳>小泉八雲の世界を堪能 闇夜の怪談ツアー 松江


 「人食い大亀」の怪談で有名な月照寺で語り部の話を聞く参加者ら

 NPO「松江ツーリズム研究会」(0852・23・5470)の主催で、小泉八雲の怪談に登場する松江の史跡を闇夜に巡る「松江ゴーストツアー」が人気を呼んでいる。

 「人食い大亀」伝説が残る月照寺や、消えぬ芸者の足跡で知られる清光院など4カ所をガイドの案内でちょうちんを頼りに歩く。1人1500円で10人から。

 声の調子を落として怖がらせるガイドの語りに、背筋が寒くなるほど。昨年から始め、既に約540人が参加。リピーターも多く、怪談の魅力にとりつかれた!?【目野創】


[ 2009年6月18日 (毎日新聞)
  

2009年06月29日 Posted by かるの at 09:15Comments(0)TrackBack(0)地方文化

「秦の兵馬俑」、再び発掘=新たに11体出土も-中国



 【北京13日時事】
 中国中央テレビなどによると、陝西省の秦の始皇帝陵周辺から発見された兵馬俑(よう)坑で13日、3度目の発掘がスタートした。発掘作業は約半年にわたり、新たに11体の武士像の出土が見込まれ、新たな歴史的発見につながるのか注目されている。 

[ 2009年6月13日[時事通信社]


  

2009年06月28日 Posted by かるの at 21:16Comments(0)TrackBack(0)海外

西田幾多郎の書斎「骨清窟」、石川県の記念館へ移築


 移築されることになった西田幾多郎の書斎「骨清窟」

 石川県かほく市出身の哲学者・西田幾多郎(1870~1945年)の書斎「 骨清窟 ( こつせいくつ ) 」が今年度、県西田幾多郎記念哲学館(かほく市内日角)の敷地内に移築されることになった。

 書斎には西田愛用の家具や書籍などが当時の状態で保存され、国の登録文化財の指定も受けている。来春には公開される予定で、同哲学館に新たな魅力が加わるとともに、西田の功績を広く発信する重要な資産となりそうだ。

 骨清窟は、1922年(大正11年)に京都市内に建てられた西田の自宅の一部。74年に現在地の旧西田記念館(同市宇野気)敷地内に移築された。市の所有物で、木造平屋建て約20平方メートルの洋間には机やいす、本棚、約2000冊にも上る和漢洋の書籍、絵画、暖炉などが当時のまま再現されている。

 2002年、約2キロ離れた場所に同哲学館が開館した際には骨清窟の移築も検討されたが、技術面の不安などから見送られた。職員が常駐していないため、見学は月2回の定期公開日と団体予約のみ。同哲学館には年間約2万人が訪れるが、骨清窟には同約170人と少なく、同哲学館内では絵で書斎内を紹介するにとどまっている。

 移築にかかる費用は、劣化した部分の修繕費なども含め2700万円。市議会6月定例会で一般会計補正予算案に盛り込む。

 同哲学館の大熊玄学芸員は
 「館内でさまざまな資料を紹介しているが、どの資料と比べても骨清窟が最大級の遺品となり、移築されれば哲学館の中心的存在になる」
と、西田哲学を知る上で重要な資料になると強調する。

 大木芳男館長も
 「近くにあれば、空気の入れ替えもこまめに行うことができ、保存状態も良好に保てる」
と話し、
 「来館者に気軽に見学してもらい、博士が研究に没頭した当時に思いをはせてみてほしい」
と、期待している。


[ 2009年6月14日 (読売新聞)
  

2009年06月28日 Posted by かるの at 14:16Comments(0)TrackBack(0)人物伝

伝統の「刻(とき)の太鼓」=茨城


 伝統の「刻(とき)の太鼓」=茨城【時事通信社】

 時の記念日の10日早朝、土浦市の亀城公園で市民に時刻を告げる「刻(とき)の太鼓」が打ち鳴らされた。旧土浦藩伝統で、2000年に市制60周年を記念して約130年ぶりに復活。12日まで朝夕6時に鳴らされる

[ 2009年6月10日 (時事通信)
  

2009年06月28日 Posted by かるの at 09:16Comments(0)TrackBack(0)地方文化

<桜井茶臼山古墳>強大王への恐れ 封じ込め願う?


 60年ぶりの調査で現れた桜井茶臼山古墳の石室天井石=奈良県桜井市で2009年3月7日、三村政司撮影

 奈良県立橿原考古学研究所による60年ぶりの発掘調査で、桜井茶臼山古墳(同県桜井市、3世紀末~4世紀初め)の築造当初の姿がよみがえった。強大な権力の大王の死を前に人々は何を願い、何を恐れたのだろうか。

 調査を担当した岡林孝作・同研究所付属博物館総括学芸員は、石室を覆う方形壇のすそで見つかった二重口縁壺が、方形壇の上部から転落し壇のすそに立っていた丸太垣に引っかかった跡だったことに驚いた。他に例がない光景が「大王墓」の証しになると確信した岡林さんは
 「王の偉大さに対する恐れがあったのだろう。何が何でも死者の魂を封じ込めたい、という強い思いが伝わってくる」
と話す。

 一方、石野博信・香芝市二上山博物館長(考古学)は柱列が垣の痕跡ではなく、屋根のある建物の壁だったのではないかと考える。
 「垣根ならこんなに深く柱を埋める必要はない。古代中国には『死者の魂は建物に宿る』とする思想がある。ホケノ山古墳(桜井市)の木槨(もっかく)には屋根があった可能性を示す柱があるし、勝山古墳(同)でも周濠(しゅうごう)から建築部材が出ている」
と指摘する。【林由紀子、高島博之】


[ 2009年6月12日 (毎日新聞)


<桜井茶臼山古墳>王墓囲う「丸太垣」 神聖な空間を区画

 初期ヤマト政権の中枢を担った大王墓の可能性が高い奈良県桜井市の前方後円墳、桜井茶臼山古墳(全長約200メートル、3世紀末~4世紀初め)後円部で、丸太を密に立て並べ石室の上部を囲んだ類例のない施設が確認された。
 12日発表した県立橿原考古学研究所は「丸太垣」と名付け、神聖な空間として区画したとみている。古墳時代初期の大王墓の形態や、葬送儀礼の実態を示す一級の成果だ。

 同古墳は1949~50年に調査され、橿考研が09年1~3月に改めて学術調査した。

 後円部中央の、竪穴式石室を覆っていた方形壇(縦11.7メートル、横9.2メートル、高さ1メートル)のすその10カ所で、直径約30センチの丸太を約1.3メートル埋め込んだ痕跡を確認。残っていないが約150本の柱(高さ2.6メートルと推定)が垣状に方形壇を囲っていたとみられる。

 この古墳に続いて築かれた同市内のメスリ山古墳の方形壇は、直径50センチ~1メートルの円筒埴輪(はにわ)を密接させ二重に並べる。「丸太垣」は、メスリ山の埴輪列の前身とみられる。

 このほか、被葬者に供物(くもつ)をささげることを象徴した二重口縁壺(こうえんつぼ)を壇上に並べていたことを確認。三角縁神獣鏡などの鏡片が153点見つかった。

 長さ200メートル以上の大規模古墳の多くは宮内庁が陵墓指定し、発掘調査例はほとんどない。橿考研は8月から竪穴式石室を再発掘し、その後に現地説明会を行う。【高島博之】


[ 2009年6月12日 (毎日新聞)
  

2009年06月27日 Posted by かるの at 21:17Comments(0)TrackBack(0)考古学(埋蔵文化財)

アラスカの島、日本船からのネズミを229年ぶりに駆除

 [アンカレッジ(米アラスカ州) 12日 ロイター]
 米アラスカ州アリューシャン列島にあるラット島では、1780年に日本の難破船から上陸したドブネズミの駆除に229年ぶりに成功した。

 米当局によると、ドブネズミの繁殖は同島の鳥の生態系に打撃を与えてきたが、昨年の秋に米連邦政府と複数の自然保護団体が計250万ドルを投じ、1週間半かけてヘリコプターから駆除剤をまいたところ、生きたネズミが確認されなくなったという。

 現在は、ライチョウやハヤブサなど数種類の鳥類が戻り、巣作りを始めた兆しが見られている。

 しかし、アンカレッジ市当局の広報担当者は、ネズミのつがいが潜伏している可能性もあり、駆除が成功したかどうか少なくとも2年間は観察を継続する必要があるとの見方を示している。

[ 2009年6月15日
  

2009年06月27日 Posted by かるの at 14:15Comments(0)TrackBack(0)海外

<天台座主>高野山を公式訪問 平安時代以降初


 歓談後、笑顔で握手を交わす金剛峯寺の松長有慶座主(左)と天台宗の半田孝淳座主=和歌山県高野町で2009年6月15日午後0時20分、大西岳彦撮影

 天台宗(総本山・比叡山延暦寺=大津市)の半田孝淳座主が15日、高野山真言宗総本山金剛峯寺(和歌山県高野町)で営まれた「弘法大師降誕会」の法会に参列した。

 05年の比叡山開創1200年法要に当時の資延敏雄・金剛峯寺座主が比叡山を訪れているが、天台座主の公式訪問は平安時代以降初めてという。宗教協力の催しなどを通じ、金剛峯寺の松長有慶座主と半田座主が交流を深めたのがきっかけで実現した。

 高野山内の住職や信者ら約500人が参列し、大師教会本部大講堂で営まれた法会で、両座主はともに一段高い内陣へ。弘法大師の稚児大師像に甘茶を掛ける作法を行った。その後、天台宗の一行は奥の院の弘法大師御廟(ごびょう)に参拝した。

 高野山真言宗は、通常「宗祖降誕会」と呼ぶ法会を、「宗祖は天台宗にもいる」と配慮して、この日は「弘法大師降誕会」と呼び変えた。両宗祖の空海と最澄は、唐(中国)で密教を学んだよきライバル。晩年は交流が途絶えたとされるが、天台宗務庁は「近世でも天台の僧が高野山で学ぶなど人的交流があると認識している」という。高野山真言宗宗務所は「今後も交流を深めていきたい」と話している。【上鶴弘志】


[ 2009年6月15日 (毎日新聞)
  

2009年06月27日 Posted by かるの at 09:16Comments(0)TrackBack(0)地方文化

<飛行艇>旧日本軍の「二式大艇」を模型で復元、公開 横浜



 二式大艇の復元模型を手入れする平山次清教授(左)と学生ら=横浜市保土ケ谷区で、木村健二撮影

 世界一の性能だったという旧日本海軍の飛行艇「二式大艇」を検証し技術革新に役立てようと、横浜国立大大学院工学研究院の平山次清教授(63)が、10分の1の復元模型を作った。17日から横浜市磯子区杉田1の杉田劇場で一般公開している。

 模型は全長2.8メートル、幅3.8メートル。4基のプロペラ部分に電動モーターを装着すれば飛行もできる。
 98年から飛行艇を研究する平山教授が無線操縦機メーカー「生田無線飛行機」(埼玉県寄居町)に発注、木材を使い約60万円で製作した。大きな波を起こせる学内の大型水槽(全長100メートル)で飛ばすなどして、水圧や揺れに対する強度を調べる。

 離着水できる飛行艇は、今も海上自衛隊で海難救助などに使われている。高波や転覆への対策が課題とされ、平山教授は
 「飛行艇の限界を高めていきたい」
と模型実験の狙いを語る。

 二式大艇は海自鹿屋航空基地史料館(鹿児島県鹿屋市)に実機が残る。史料館によると、1942年に旧海軍が採用し終戦までに167機製造された。巡航速力が時速453.2キロ、最大航続距離は約7200キロで、飛行艇では世界一だったという。

 実行委員会の代表で郷土史に詳しい葛城峻(かつらぎしゅん)さん(78)は
 「フロンティア精神あふれる巨大な飛行艇が飛んでいたことを見つめ直してほしい」
と話す。【木村健二】


[ 2009年6月17日(毎日新聞)
  

2009年06月26日 Posted by かるの at 21:17Comments(0)TrackBack(0)歴史を学ぶ

祇園祭・伯牙山の後掛219年ぶり復元…豪華な龍よみがえる


 219年ぶりに新調され、公開された祇園祭の伯牙山を飾る後掛(下は中国・清時代の後掛)(18日、京都市中京区で)=関口寛人撮影

 京都・祇園祭の 山鉾 ( やまぼこ ) の一つ、 伯牙 ( はくが ) 山を飾る 後掛 ( うしろかけ ) 「 錦織龍文 ( にしきおりりゅうもん ) 模様」(縦1・38メートル、横1・22メートル)が219年ぶりに復元され、18日、報道陣に公開された。

 江戸時代に、中国・清から輸入した生地で作られたが、劣化が激しく、明治初期以降は代替品を巡行に使用。金や青、緑など10色の糸で、清では最も格が高い五つの爪を持つ龍と、雲を再現した。

 巡行の際、後掛は別の 懸装 ( けそう ) 品・ 見送 ( みおくり ) に覆われる。伯牙山保存会の杉本秀太郎代表(78)は
 「見えない部分に手間をかけるのが祇園祭の奥深さ。立派な後掛に仕上がった」
と満足そうだった。


[ 2009年6月18日 (読売新聞)
  

2009年06月26日 Posted by かるの at 14:16Comments(0)TrackBack(0)文化財保護

<水うちわ>みずみずしい透明感でヒンヤリ 岐阜


 みずみずしい透明感が特徴の「水うちわ」=岐阜市日野東で、山田尚弘撮影

 本格的な夏を前に、みずみずしい透明感が特徴の「水うちわ」づくりが、岐阜市日野東の和紙加工販売会社「家田紙工」日野工場で最盛期を迎えている。

 雁皮紙(がんぴし)という薄い和紙に天然のニスを重ね塗りする。明治時代から伝統工芸品として作られ、かつてはウ飼いの見物客が暑さをしのぐために川に浸し、あおいだという。90年代前半から紙すき職人の減少などで生産を停止していたが、07年に家田紙工など2社が生産を再開した。

 同社の職人、久世敏康さん(35)は
 「水うちわにしかない独特の風合いを楽しんでほしい」
と話している。【山田尚弘】


[ 2009年6月11日 (毎日新聞)
  

2009年06月26日 Posted by かるの at 09:15Comments(0)TrackBack(0)地方文化

<日墨交流400周年>友好の地に帆船 千葉・御宿沖


 来航したメキシコ海軍の訓練帆船クアウテモック号=千葉県御宿町沖で2009年6月12日午前10時10分、吉村建二撮影

 日本とメキシコの交流400周年を記念しメキシコ海軍の訓練帆船「クアウテモック号」(1800トン)が12日、千葉県御宿町沖に来航した。
 新型インフルエンザの流行で一時は実現が危ぶまれたが、乗組員らは日墨友好発祥の地で400年前の人道的措置に改めて感謝の意を伝えた。

 1609年9月、メキシコへの帰国途中だったサン・フランシスコ号が御宿町沖で座礁。地元の漁民らが献身的な救助活動で乗組員317人を助けたといい、これが友好の原点とされている。

 400周年の今年、メキシコは海軍帆船の日本訪問を計画。メキシコで新型インフルエンザが流行する前の2月15日に出航し、乗組員約270人は全員健康だったが、関西で感染が拡大したため、予定していた大阪寄港は見送った。

 御宿では、小学生たちがメキシコ国旗を振って上陸した乗組員を歓迎。ルイスカバ-ニャス駐日大使は
 「400年前の日本人の英雄的で人道的な行為を、メキシコは忘れない」
とあいさつ。ク号は12日夜、メキシコへの帰路についた。【吉村建二】


[ 2009年6月12日 (毎日新聞)
  

2009年06月25日 Posted by かるの at 21:16Comments(0)TrackBack(0)歴史を学ぶ

大仁町史刊行記念講座2

「絵図と古文書で見る江戸時代の狩野川と交通」

と き 6月27日(土)13:30~15:30 
ところ 大仁市民会館第3集会室
講 師 橋本敬之氏(大仁町史編さん委員)

参加無料・申し込み不要
  

2009年06月25日 Posted by かるの at 14:16Comments(0)TrackBack(0)講座・説明会案内

<雑記帳>「宇治川の鵜飼」始まる 京都・宇治


 かがり火が燃え幻想的な雰囲気の中、始まった宇治川の鵜飼=京都府宇治市の宇治川で2009年6月13日午後7時43分、宮間俊樹撮影

 京都府宇治市で13日、夏の風物詩「宇治川の鵜飼(うかい)」が始まった。
 かがり火で川面が照らされる中、鵜匠2人がそれぞれ小舟に乗り、巧みな手綱さばきを披露した。

 全国で数少ない女性鵜匠の澤木万理子さん(35)と江崎洋子さん(30)が、風折烏帽子(かざおりえぼし)に加え、古代米の紫稲を使った腰みの姿で登場。観客から大きな歓声が上がった。

 源氏物語千年紀の昨年は多くの観光客でにぎわった宇治市。「平安時代に始まった鵜飼で、新型インフルエンザの影響を吹き飛ばしたい」と市観光協会。シーズンは9月27日まで。【藤田健志】


[ 2009年6月13日 (毎日新聞)
  

2009年06月25日 Posted by かるの at 09:16Comments(0)TrackBack(0)地方文化

<三井本館>「東洋一」地下大金庫を報道陣に公開 東京



 重厚な雰囲気の中で開かれたコンサート=東京都中央区の三井住友銀行で2009年6月15日午後7時13分、小出洋平撮影

 大規模オフィスビルとしては初めて国の重要文化財に指定された三井本館(東京都中央区)が15日、開館80周年を迎え、三井家代々の当主の部屋や設置当時に「東洋一」と言われた地下大金庫が報道陣に公開された。

 関東大震災からの東京復興の象徴として1929(昭和4)年に開館した。当時設置された米国モスラー社製の大金庫は重さ50トン、扉の厚さ55センチ。重量制限のため地上を運搬できず、船で近くまで運んだとの逸話が残る。

 現在も中央三井信託銀行が使用し、約6300の貸金庫が収められている。火災時には扉の合金に含まれる銅が膨張し、より密閉度が高まるという。

 この日は本館1階ロビーで初のコンサートも開かれ、約120人が、バイオリンやチェロの音色に酔いしれた。【松谷譲二】


(毎日新聞)
  

2009年06月24日 Posted by かるの at 20:16Comments(0)TrackBack(0)文化財保護

<名古屋城>本丸復元で討論 「賛成7割、重い」河村市長


 名古屋市の名古屋城本丸御殿復元事業に対する市民の意見を聞く討論会「河村市長の本丸御殿本音トーク」が14日、同市中区の市公館で開かれた。
 賛否5人ずつが討論。参加した市民約150人に尋ねた結果、計画修正も含め事業継続を求める意見が多かった。河村たかし市長は終了後、記者団に対し
 「(参加者7割の)賛成は重い」
としつつも
 「6月議会でも議論が出る。議会を終えていっぺん冷静に考えてみる」
と述べるにとどめた。

 討論会は「市民の意見を聞いて決める」との河村市長の考えで初めて開いた。まず市側が、復元事業の概要や名古屋城の入場者100万人増などで年間206億円の経済波及効果があること、事業中止の場合は違約金など12億円が必要で、中断でも現場維持費などに年間約1億円かかることを説明した。その後、河村市長が応募論文を読んで選んだ石田芳弘・元犬山市長、山口清明・名古屋市議(共産)ら賛否5人ずつの討論者が議論した。

 賛成意見は「名古屋市民の誇りになる」「街づくりの軸になる」など。財源に「寄付金を主体にすべきだ」と注文もついた。反対はしないものの「財政も厳しく、市民の機運もない」と一時凍結を求める意見もあった。

 反対意見は「寄付金を出したのは1万人余り。市民が本当に必要と思っているか疑問」「古い建物に興味はあるがコピーでは行く気にならない」など。

 最後に河村市長が会場に賛否を尋ねたところ「このまま続行」72人、「修正して続行」32人、「一時中断」37人、「中止」5人――だった。【丸山進、岡崎大輔】


[毎日新聞6月15日]
  

2009年06月24日 Posted by かるの at 14:16Comments(0)TrackBack(0)文化財保護