<清荒神清澄寺>御利益に感謝、招福を祈願し納め荒神 宝塚
しめ縄飾りなどを買い求める参拝客でにぎわう清荒神清澄寺の参道=兵庫県宝塚市で2009年12月28日午前10時9分、幾島健太郎撮影

「かまどの神様」として知られ、飲食業や火を扱う製鉄業などの信仰を集める兵庫県宝塚市の清荒神(きよしこうじん)清澄寺で27、28の両日、今年1年の御利益に感謝し、来年の招福を祈願する「納三宝(おさめさんぽう)荒神大祭=納め荒神」があった。
阪急清荒神駅から山門に続く約1.2キロの参道が、正月用品などを商う多くの露店が出て大勢の参拝客でにぎわった。威勢の良い掛け声があがる中、参拝客らはしめ縄やおせち料理素材などを次々と買い求めていた。【山田奈緒】
[ 2009年12月28日 (毎日新聞)
2009年12月31日 Posted by かるの at 21:17 │Comments(0) │TrackBack(0) │歳時記
ヒョウタンの縁起物作り追い込み…大分
追い込みに入った縁起物のひょうたん作り=田中勝美撮影

大分県宇佐市の「溝口ひょうたん本舗」(溝口栄治社長)で、ヒョウタンを使った正月の縁起物作りが追い込みに入っている。
夏に収穫したヒョウタン(長さ5~15センチ)を乾燥させて色を塗り、お札や破魔矢に付けたものが多い。金色や紫色など6色のヒョウタンがセットになった「 六瓢 ( むびょう ) 息災」も人気があるという。
価格は500~3000円。約1万5000個を太宰府天満宮(福岡県太宰府市)など各地の神社に納める。
[ 2009年12月26日 (読売新聞)

大分県宇佐市の「溝口ひょうたん本舗」(溝口栄治社長)で、ヒョウタンを使った正月の縁起物作りが追い込みに入っている。
夏に収穫したヒョウタン(長さ5~15センチ)を乾燥させて色を塗り、お札や破魔矢に付けたものが多い。金色や紫色など6色のヒョウタンがセットになった「 六瓢 ( むびょう ) 息災」も人気があるという。
価格は500~3000円。約1万5000個を太宰府天満宮(福岡県太宰府市)など各地の神社に納める。
[ 2009年12月26日 (読売新聞)
2009年12月31日 Posted by かるの at 09:16 │Comments(0) │TrackBack(0) │伝統工芸
さい銭ドロ侵入?日吉大社で重文の塀破損
破損した日吉東照宮の「透塀」

大津市坂本の日吉大社で、末社の日吉東照宮の社殿を囲む重要文化財「 透塀 ( すきべい ) 」の一部が壊され、さい銭箱が荒らされていたことがわかった。
滋賀県警大津署は、窃盗未遂事件として捜査している。
同署や同大社によると、27日午前8時半頃、社殿入り口の「唐門」近くの格子部分が壊され、社殿前のさい銭箱の周囲に1円玉が散らばっているのを同大社の職員が見つけた。通報を受けた同署などが確認したところ、破損は縦約70センチ、横約50センチにわたっていた。さい銭は盗まれていなかった。
前日夕方に職員が門を施錠した際には異状はなかったという。
[ 2009年12月28日 (読売新聞)
2009年12月30日 Posted by かるの at 21:17 │Comments(0) │TrackBack(0) │文化財保護
旧日本軍が沈めた病院船発見=水深2000mで調査チーム-豪
オーストラリア東部クイーンズランド州政府は20日、第2次大戦中に旧日本軍の攻撃を受けて同州沖で沈没した病院船「セントー号」が、調査チームによって発見されたことを明らかにした。ABC放送(電子版)が報じた。
調査チームは、ブリスベーン東方モートン島の南端沖約30カイリ(約55キロ)、水深2059メートルの地点でセントー号を発見した。ギラード副首相は
「国の任務のために命を落とした勇敢な看護師や乗組員の存在を、すべての国民が知り、たたえることにつながる」
と称賛した。
州政府によれば、来年1月には遠隔操作が可能な潜水艇を使い、海中に沈む船体の写真撮影を行う予定という。
[ 2009年12月20日[時事通信社]
2009年12月30日 Posted by かるの at 09:03 │Comments(0) │TrackBack(0) │戦記
岡野喜太郎翁像
ものもらい→メバチコ?メイボ?大阪弁にも地域差
「ものもらい」はメバチコ、それともメイボ?――。大阪府内各地の様々な大阪弁を〈言語地図〉にした解説本「大阪のことば地図」が発行された。
方言の地域差を明らかにするのが目的といい、編著者の一人、徳島大の岸江信介教授(方言学)は
「大阪府内で『変化』する大阪弁のおもしろさを知ってもらいたい」
と話している。
岸江教授らが、8年前に刊行した「地域語資料5 大阪府言語地図」(近畿方言研究会、真田信治主宰)で取り上げた、「大阪府言語地図」を編集した。
言語地図は、1990年7月から1992年9月にかけて行われた調査を基に作製。岸江教授と梅花女子大(大阪府茨木市)の学生が、大阪府内を中心に38市町村161地点(当時)で、その土地で生まれ育った70歳以上の男女約200人に調査した。 語彙 ( ごい ) 、文法・表現法、音声の各分野から243項目について聞き取ったという。
その中から、地域差が特に目立った129の言葉や風習を選び出し、府内の各地域で、どのような言い方や発音が使われているかなどを、地図で示して紹介している。
「ものもらい」を、「メバチコ」「メイボ」などと言うことや、それを治すための各地のおまじない「井戸の中に小豆 等 ( など ) を投げ入れる」「くしを畳に擦り患部につける」などを紹介。
また、▽「日照り雨」はキツネノヨメイリ、キツネノヨメドリ、テンキアメ、トーリアメなど呼び方が違う▽6月頃に蒸し暑い日が続くときを「ホメク」と言う地域がある――などを分布図にしてまとめている。
そのほか、大阪府内が「摂津」「河内」「和泉」の三つの国に分かれ、それぞれの特徴が表れてきた歴史的背景や、言葉の形成過程の考察なども詳しく説明している。
A5判、295ページ。1800円(税別)で、全国の書店で販売。問い合わせは、和泉書院(06・6771・1467)へ。
方言の地域差を明らかにするのが目的といい、編著者の一人、徳島大の岸江信介教授(方言学)は
「大阪府内で『変化』する大阪弁のおもしろさを知ってもらいたい」
と話している。
岸江教授らが、8年前に刊行した「地域語資料5 大阪府言語地図」(近畿方言研究会、真田信治主宰)で取り上げた、「大阪府言語地図」を編集した。
言語地図は、1990年7月から1992年9月にかけて行われた調査を基に作製。岸江教授と梅花女子大(大阪府茨木市)の学生が、大阪府内を中心に38市町村161地点(当時)で、その土地で生まれ育った70歳以上の男女約200人に調査した。 語彙 ( ごい ) 、文法・表現法、音声の各分野から243項目について聞き取ったという。
その中から、地域差が特に目立った129の言葉や風習を選び出し、府内の各地域で、どのような言い方や発音が使われているかなどを、地図で示して紹介している。
「ものもらい」を、「メバチコ」「メイボ」などと言うことや、それを治すための各地のおまじない「井戸の中に小豆 等 ( など ) を投げ入れる」「くしを畳に擦り患部につける」などを紹介。
また、▽「日照り雨」はキツネノヨメイリ、キツネノヨメドリ、テンキアメ、トーリアメなど呼び方が違う▽6月頃に蒸し暑い日が続くときを「ホメク」と言う地域がある――などを分布図にしてまとめている。
そのほか、大阪府内が「摂津」「河内」「和泉」の三つの国に分かれ、それぞれの特徴が表れてきた歴史的背景や、言葉の形成過程の考察なども詳しく説明している。
A5判、295ページ。1800円(税別)で、全国の書店で販売。問い合わせは、和泉書院(06・6771・1467)へ。
[ 2009年12月18日 (読売新聞)
2009年12月29日 Posted by かるの at 09:18 │Comments(0) │TrackBack(0) │地方文化
戊辰戦争で活躍、これが機関砲模型…日本初
新潟県長岡市に寄贈されるガトリング砲の5分の1模型

幕末に長岡藩政改革を断行した河井継之助(1827~68年)が日本で初めて使用したという機関砲「ガトリング砲」の5分の1模型を、新潟県長岡市の有志企業3社が製作し、21日、同市役所で披露した。
27日に行われる「河井継之助記念館」開館3周年記念講演会の席で同館に寄贈される。
模型は「広井工機」が設計、「旭精機」が組み立て、「とみしま製作」がケースや銘板を製作した。全長約40センチで重さ約2キロ。実物同様に複数の銃身を回転させられる精巧な作りで、製作費は約15万円。
継之助記念館では、3年前にこの3社などが製作した原寸大模型が展示されており、今回の模型も一緒に展示する予定。
広井工機の広井晃社長は
「製造業が不況のまっただ中なので、長岡では何でも作れるというPRも含め、明るい話題を提供したかった」
と話す。
ガトリング砲は米国で発明されて南北戦争などに使われ、河井は1868年に横浜で2門を購入。 戊辰 ( ぼしん ) 戦争で使用されたとされる。
[ 2009年12月22日 (読売新聞)

幕末に長岡藩政改革を断行した河井継之助(1827~68年)が日本で初めて使用したという機関砲「ガトリング砲」の5分の1模型を、新潟県長岡市の有志企業3社が製作し、21日、同市役所で披露した。
27日に行われる「河井継之助記念館」開館3周年記念講演会の席で同館に寄贈される。
模型は「広井工機」が設計、「旭精機」が組み立て、「とみしま製作」がケースや銘板を製作した。全長約40センチで重さ約2キロ。実物同様に複数の銃身を回転させられる精巧な作りで、製作費は約15万円。
継之助記念館では、3年前にこの3社などが製作した原寸大模型が展示されており、今回の模型も一緒に展示する予定。
広井工機の広井晃社長は
「製造業が不況のまっただ中なので、長岡では何でも作れるというPRも含め、明るい話題を提供したかった」
と話す。
ガトリング砲は米国で発明されて南北戦争などに使われ、河井は1868年に横浜で2門を購入。 戊辰 ( ぼしん ) 戦争で使用されたとされる。
[ 2009年12月22日 (読売新聞)
2009年12月28日 Posted by かるの at 21:18 │Comments(0) │TrackBack(0) │歴史を学ぶ
助太刀頼みます、楠木正成公のイメキャラ募集
南北朝期の武将・楠木正成ゆかりの史跡などの清掃活動を行っている「千早赤阪楠公史跡保存会」が、正成をモチーフにしたイメージキャラクターと愛称を募集する。
大阪府千早赤阪村は財政難による河内長野市への編入合併が中止になり、新行財政改革を検討中で、保存会は「村を活気づけるニューヒーローを考えて」と呼びかける。
保存会は、村立郷土資料館の指定管理を受け、正成が 籠城 ( ろうじょう ) した千早城跡などの遺跡の案内、清掃をボランティアで実施。合併協議中止を受け、「単独で再出発する村の起爆剤に」と、キャラクターを募集する。
新キャラクターは当面、パンフレットなど同館の発行物や史跡案内板に登場させる。保存会では「将来は着ぐるみやグッズを作り、滋賀県彦根市のひこにゃんなどとの戦国サミットを実現したい」と話している。
◇
作品は未発表のオリジナルに限り、村在住などの条件はなく何点でも応募できる。
最優秀賞は賞金3万円と村産ミカン10キロ、米10キロ。1月13日~2月14日に募集、3月上旬にも発表する。
希望者は、所定の応募用紙に住所、氏名、年齢などを書き、
〒585・0041千早赤阪村水分266村立郷土資料館内・保存会事務局に郵送する(持参も可)。問い合わせは同事務局(0721・72・1588)へ。
[ 2009年12月18日 (読売新聞)
2009年12月28日 Posted by かるの at 09:16 │Comments(0) │TrackBack(0) │歴史イベント
クレオパトラ時代の神殿門発掘
クレオパトラ時代の神殿門発掘【AFP=時事】

エジプトの地中海沿岸の都市アレクサンドリア沖で17日、古代エジプトの女王クレオパトラ(紀元前69年~同30年)時代の女神イシスを祭った神殿の塔門の一部が引き揚げられた(写真)。海底博物館の呼び物となる
[ 2009年12月18日
2009年12月27日 Posted by かるの at 21:17 │Comments(0) │TrackBack(0) │海外
<北大路魯山人>「幻の壁画」56年ぶりに里帰り
陶芸や書をはじめ、料理でも多彩な才能を発揮した北大路魯山人(ろさんじん)(1883~1959)が、1953年にパナマ船籍の貨客船用に手掛け、長らく行方不明になっていた大作壁画が、56年ぶりに里帰りを果たす。
今月27日から東京・日本橋高島屋で始まる「没後50年 北大路魯山人展」で公開される。
壁画は、木板に桜の図柄を彫り、陶板や白蝶貝(しろちょうがい)などをはめ込んだ「桜」(縦114×横371センチ)と、純金板に漆で朝日に照らされた富士山を描いた「富士」(縦112×横207センチ)の2点。それぞれ貨客船の喫煙室と食堂用に制作され、船への設置前、日本橋高島屋で数日間公開された。しかし、航海に出た後は行方不明に。魯山人の経歴に記録が残るだけの「幻の壁画」と呼ばれていた。
展覧会の企画会社によると、フリージャーナリストの喜多野繁男さんが昨年春、ポルトガルの実業家が保管していた壁画の所在を突き止めた。陶板や漆の一部がはがれ落ちているが、状態は良好。80年に船が廃棄処分になった時、壁画は現場責任者らの機転で解体を免れたという。
来年の日本・ポルトガル修好150年を記念し、56年前と同じ高島屋での公開が決まった。
展覧会は来年1月18日まで。元日休み。問い合わせは同店(03・3211・4111)へ。【岸桂子】
[ 2009年12月14日 (毎日新聞)
2009年12月27日 Posted by かるの at 09:16 │Comments(0) │TrackBack(0) │人物伝
町のシンボル、築86年の給水塔取り壊しに 千葉
解体が決まったキッコーマンの給水塔=千葉県野田市で橋本利昭撮影

千葉県野田市のキッコーマン工場敷地内にあり、町のシンボルとして親しまれた築86年の給水塔(高さ22メートル)が、10年3月までに取り壊されることになった。同社が21日、発表した。
しょうゆ製造の原料に使う水30トンをためられる構造。07年には経済産業省の近代化産業遺産群に認定された。しかし、老朽化でコンクリート片が落下するなど危険な状態となり、一度は解体が決まった。
地元からの保存を求める声で再検討したが、耐震補強や外壁補修に1億円近くかかることが分かった。同社は「現在は使用していない設備。やむを得ない」と、ちょっとしょっぱい経営判断? 【橋本利昭】

千葉県野田市のキッコーマン工場敷地内にあり、町のシンボルとして親しまれた築86年の給水塔(高さ22メートル)が、10年3月までに取り壊されることになった。同社が21日、発表した。
しょうゆ製造の原料に使う水30トンをためられる構造。07年には経済産業省の近代化産業遺産群に認定された。しかし、老朽化でコンクリート片が落下するなど危険な状態となり、一度は解体が決まった。
地元からの保存を求める声で再検討したが、耐震補強や外壁補修に1億円近くかかることが分かった。同社は「現在は使用していない設備。やむを得ない」と、ちょっとしょっぱい経営判断? 【橋本利昭】
[ 2009年12月22日 (毎日新聞)
2009年12月26日 Posted by かるの at 21:17 │Comments(0) │TrackBack(0) │文化財保護
原寸大・遣唐使船の一部、平城宮跡に到着
来年、奈良県で開催される平城遷都1300年祭で、原寸大に復元して展示される遣唐使船の船体の一部が17日、主会場の平城宮跡(奈良市)近くに到着し、設置作業が始まった。
船は木製で、全長約30メートル、最大幅約10メートル、帆を含めた高さは約15メートル。主催する事業協会が約2億円をかけ、静岡県内の造船会社で製作した。来年4月24日に開館する文化施設「平城京歴史館」北側に展示し、乗船体験などができる。
この日は、船尾に近い骨組みの部分(長さ約9メートル、高さ、幅各約2・5メートル)2体をクレーンで設置。19日までに計7体を運び込んで組み立て、来年1月下旬からは甲板上部に屋形や帆柱を取り付けたうえで塗装し、3月中旬に完成させる。
[ 2009年12月18日 (読売新聞)
2009年12月26日 Posted by かるの at 09:17 │Comments(0) │TrackBack(0) │歴史イベント
千葉県館山市・安房神社洞窟遺跡
安房神社洞窟遺跡は安房神社境内にある。

以下は当地の説明板から。
一九三二年、井戸の掘削工事の時に地表下一mほどのところで、偶然に洞窟がみつかった。東北方向に開口部があるこの海食洞は、全長約十一m、高さ一一m、幅一mの大きさで、現在は再び地下に眠っている。
洞窟の発見直後の緊急発掘調査の結果、人骨二十二体の他、貝製腕輪一九三個、縄文土器、古墳時代の土師器などが出土し、ここが古代の墓所であることがわかった。人骨十五体には、健康な歯を故意に抜く風習である抜歯の跡があり、当時の習俗を知る上で貴重だが、弥生時代とされる時期については再検討が必要である・人骨の一部は近くの宮ノ谷に再び埋葬され、忌部塚として祀られている。
館山市教育委員会
現在は埋められている。

以下は当地の説明板から。
千葉県指定史跡 安房神社洞窟遺跡
昭和四十一一年三月七日指定
一九三二年、井戸の掘削工事の時に地表下一mほどのところで、偶然に洞窟がみつかった。東北方向に開口部があるこの海食洞は、全長約十一m、高さ一一m、幅一mの大きさで、現在は再び地下に眠っている。
洞窟の発見直後の緊急発掘調査の結果、人骨二十二体の他、貝製腕輪一九三個、縄文土器、古墳時代の土師器などが出土し、ここが古代の墓所であることがわかった。人骨十五体には、健康な歯を故意に抜く風習である抜歯の跡があり、当時の習俗を知る上で貴重だが、弥生時代とされる時期については再検討が必要である・人骨の一部は近くの宮ノ谷に再び埋葬され、忌部塚として祀られている。
館山市教育委員会
現在は埋められている。
2009年12月25日 Posted by かるの at 21:17 │Comments(0) │TrackBack(0) │遺跡を見ると、胸が騒ぐ…
伝統と新しさ、二つの「とら」の張り子=福島県郡山市
伝統工芸品である三春駒や三春張り子の発祥地、福島県郡山市の「高柴デコ屋敷」では、来年のえとの「寅(とら)」の張子づくりの仕上げ作業がピークを迎えている。
この地域では人形のことを「デコ」と言い、その歴史は江戸時代にまでさかのぼる。現在、4軒ほどがお面や十二支の人形などを制作し、伝統の技を受け継いでいる。
このうち、彦治民芸の「腰高とら」は、1998年のお年玉年賀切手の絵柄となり、全国に広く知られた。同民芸十代目当主の橋本高宜さんは
「腰高とらはすべて手作業で1日10体を作るのがやっと」
と語る。一方、今年は新しい張り子づくりということで、癒し系のかわいらしい表情の新作を36年ぶりに完成させた。
橋本さんは
「お客さんに認められるよう、職人としての技術向上を心がけている」
と一つ一つ精魂を傾けて仕上げている。
[ 2009年12月17日[時事通信社]
2009年12月25日 Posted by かるの at 09:14 │Comments(0) │TrackBack(0) │伝統工芸
毘沙門天もホクホク顔に、冬至かぼちゃ大祭
カボチャを供え新年の幸せを祈った「冬至かぼちゃ大祭」=大野博昭撮影

年間で最も昼が短くなる冬至の22日、カボチャを奉納して新年の開運と厄よけを祈る「冬至かぼちゃ大祭」が、福岡市・天神の勝立寺で開かれた。
江戸時代、博多商人が海で遭難した際、カボチャを持って現れた 毘沙門天 ( びしゃもんてん ) に救われた――との言い伝えがあり、約300年続く行事という。
本堂の毘沙門天像の前に、約100個のカボチャが奉納された。「来年こそはいい年に」「家族が健康でありますように」。参拝者たちはそれぞれ祈願し、カボチャ汁をすすっていた。
福岡管区気象台によると、この日正午の気温は福岡市中央区で平年よりやや低い9・4度。23日以降は暖かい天気が続くという。
[ 2009年12月22日 (読売新聞
) 2009年12月24日 Posted by かるの at 21:17 │Comments(0) │TrackBack(0) │歳時記
たいまつ手に南蛮行列、400年前のXマス再現
たいまつを手に町を練り歩く南蛮行列(長崎県南島原市で)=貞末ヒトミ撮影

約400年前のクリスマスを再現した「フェスティビタス・ナタリス」が19日、長崎県南島原市北有馬町で開かれ、約120人がキリシタン大名や宣教師らに扮し、南蛮行列を披露した。
1580年、日本初の西洋式神学校「セミナリヨ」が同町に設立されたことにちなみ、青年団などが始め今年で13回目。参加者はたいまつの火を手に聖歌を響かせながら約1キロを練り歩いた。
日本初のヨーロッパ派遣団「天正遣欧少年使節」の中浦ジュリアン役を務めた森勇介さん(14)は「趣のある行列に参加できて光栄です」と笑顔を見せていた。
[ 2009年12月19日
2009年12月24日 Posted by かるの at 09:01 │Comments(0) │TrackBack(0) │歴史イベント
<核密約文書>佐藤元首相の遺族が保管 日米首脳署名
(毎日新聞)
記事写真
写真1
沖縄返還に決着をつけるため訪米した佐藤栄作首相(左)は、ワシントンのホワイトハウスでニクソン米大統領との首脳会談に臨んだ=ホワイトハウス大統領執務室で1969年11月19日午前(米国時間)、代表撮影
沖縄返還(1972年)の交渉過程で、当時の佐藤栄作首相とニクソン米大統領が69年11月に署名した、沖縄への有事の際の核持ち込みを認める密約文書を、佐藤氏の遺族が保管していたことが22日、明らかになった。草案などで密約の内容はすでに分かっていたが、両首脳の署名がある実物の存在が明らかになったのは初めて。
密約は69年11月にワシントンで行われた日米首脳会談の際、両首脳がひそかに署名した「合意議事録」。返還交渉で佐藤氏の密使を務めた若泉敬・元京都産業大教授(故人)が94年に著書でその草案の写真とともに明らかにした。今回の文書は文末にフルネームで署名があり、2通作成され、日米首脳がそれぞれ保管するとした本文の日本保管分とみられる。若泉氏は著書で「イニシャル署名する予定だったが、フルネームで署名したと佐藤首相から知らされた」と記述しており、符合する。
この密約は現在、岡田克也外相が進めている密約調査でも対象になっており、調査では「外務省には保管されていない」という結論になっている。密約をめぐるやりとりは外務当局とは別に若泉氏の「密使」ルートで行われたため、外務省には保存されていないとみられる。しかし、両首脳の署名が残っており、米側は有効な公文書と見なしている可能性が高い。
佐藤氏の次男の佐藤信二元通産相によると、元首相から引き継ぎなどはなく、75年の元首相の死去後に、元首相が使用していた書斎机を整理した際に見つかった。机は首相在任時に首相公邸で使っていて、その後、東京・代沢の自宅に運ばれたもので、元首相が文書を保管してそのままになっていたとみられる。
佐藤元通産相によると、文書を発見した際に、密約が結ばれた69年当時駐米大使だった下田武三氏(故人)ら複数の外務省OBに「(外務省の)外交史料館で保管したい」と相談したが「公文書ではなく、私文書にあたる」と指摘されたという。佐藤元通産相は「資料として保管してほしいと思ったが、二元外交を否定しているのだと感じた」と話している。【中澤雄大】
【ことば】沖縄核持ち込み密約
1969年11月にワシントンで行われた日米首脳会談時に、当時の佐藤栄作首相とニクソン米大統領が署名した。首脳会談では沖縄の「核抜き本土並み」の返還が合意されたが、同時に密約で有事の際の沖縄への核兵器の再持ち込みを認めた。密約では、米国が核兵器を持ち込む事前協議を日本政府に申し入れた場合、「(日本が)遅滞なく必要を満たす」と明記しており、核持ち込みの事前協議の意味を事実上空洞化する内容となっている。若泉敬・元京都産業大教授(故人)が94年に出版された著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」で文書草案の写真と共に内容や経緯を明らかにした。
[ 2009年12月23日
記事写真
写真1
沖縄返還に決着をつけるため訪米した佐藤栄作首相(左)は、ワシントンのホワイトハウスでニクソン米大統領との首脳会談に臨んだ=ホワイトハウス大統領執務室で1969年11月19日午前(米国時間)、代表撮影
沖縄返還(1972年)の交渉過程で、当時の佐藤栄作首相とニクソン米大統領が69年11月に署名した、沖縄への有事の際の核持ち込みを認める密約文書を、佐藤氏の遺族が保管していたことが22日、明らかになった。草案などで密約の内容はすでに分かっていたが、両首脳の署名がある実物の存在が明らかになったのは初めて。
密約は69年11月にワシントンで行われた日米首脳会談の際、両首脳がひそかに署名した「合意議事録」。返還交渉で佐藤氏の密使を務めた若泉敬・元京都産業大教授(故人)が94年に著書でその草案の写真とともに明らかにした。今回の文書は文末にフルネームで署名があり、2通作成され、日米首脳がそれぞれ保管するとした本文の日本保管分とみられる。若泉氏は著書で「イニシャル署名する予定だったが、フルネームで署名したと佐藤首相から知らされた」と記述しており、符合する。
この密約は現在、岡田克也外相が進めている密約調査でも対象になっており、調査では「外務省には保管されていない」という結論になっている。密約をめぐるやりとりは外務当局とは別に若泉氏の「密使」ルートで行われたため、外務省には保存されていないとみられる。しかし、両首脳の署名が残っており、米側は有効な公文書と見なしている可能性が高い。
佐藤氏の次男の佐藤信二元通産相によると、元首相から引き継ぎなどはなく、75年の元首相の死去後に、元首相が使用していた書斎机を整理した際に見つかった。机は首相在任時に首相公邸で使っていて、その後、東京・代沢の自宅に運ばれたもので、元首相が文書を保管してそのままになっていたとみられる。
佐藤元通産相によると、文書を発見した際に、密約が結ばれた69年当時駐米大使だった下田武三氏(故人)ら複数の外務省OBに「(外務省の)外交史料館で保管したい」と相談したが「公文書ではなく、私文書にあたる」と指摘されたという。佐藤元通産相は「資料として保管してほしいと思ったが、二元外交を否定しているのだと感じた」と話している。【中澤雄大】
【ことば】沖縄核持ち込み密約
1969年11月にワシントンで行われた日米首脳会談時に、当時の佐藤栄作首相とニクソン米大統領が署名した。首脳会談では沖縄の「核抜き本土並み」の返還が合意されたが、同時に密約で有事の際の沖縄への核兵器の再持ち込みを認めた。密約では、米国が核兵器を持ち込む事前協議を日本政府に申し入れた場合、「(日本が)遅滞なく必要を満たす」と明記しており、核持ち込みの事前協議の意味を事実上空洞化する内容となっている。若泉敬・元京都産業大教授(故人)が94年に出版された著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」で文書草案の写真と共に内容や経緯を明らかにした。
[ 2009年12月23日
2009年12月24日 Posted by かるの at 08:47 │Comments(0) │TrackBack(0) │近現代史
<堂ノ後古墳>国内最古でなかった 築造時期が判明
堂ノ後古墳(奥)とホケノ山古墳(手前)=奈良県桜井市で2005年11月4日、本社ヘリから三村政司撮影

国内最古の前方後円墳の可能性が指摘されていた奈良県桜井市の堂ノ後(どうのうしろ)古墳が、実際は5世紀後半の築造で、最古ではないことが市教委の発掘調査で分かった。同古墳は、天理大(同県天理市)の学生らのレーダー探査で、東隣の国内最古とされるホケノ山古墳(3世紀中ごろ)より古い時代に造られた可能性があるとされたが、出土した鳥の形をした埴輪(はにわ)の特徴から築造時期が判明した。
学生らは05年1~2月、地上から電磁波を発射し、地盤構造や埋設物を画像化するレーダー探査を実施。それまで円墳と思われていた堂ノ後古墳の前方部を見つけた。さらに、堂ノ後古墳の周濠(しゅうごう)を切り崩してホケノ山古墳が築かれた可能性のある痕跡を確認し、堂ノ後古墳がホケノ山古墳より古いと推定していた。
しかし、市教委が今年6~7月、学生らがレーダー探査で前方部を見つけた場所を発掘調査したところ、出土した埴輪などは5世紀後半に作られた特徴があり、堂ノ後古墳が5世紀後半の築造と判断した。
レーダー探査の結果については、考古学の専門家から「短絡的に判断するのは危険。発掘調査して確認する必要がある」と指摘されていた。【高島博之】

国内最古の前方後円墳の可能性が指摘されていた奈良県桜井市の堂ノ後(どうのうしろ)古墳が、実際は5世紀後半の築造で、最古ではないことが市教委の発掘調査で分かった。同古墳は、天理大(同県天理市)の学生らのレーダー探査で、東隣の国内最古とされるホケノ山古墳(3世紀中ごろ)より古い時代に造られた可能性があるとされたが、出土した鳥の形をした埴輪(はにわ)の特徴から築造時期が判明した。
学生らは05年1~2月、地上から電磁波を発射し、地盤構造や埋設物を画像化するレーダー探査を実施。それまで円墳と思われていた堂ノ後古墳の前方部を見つけた。さらに、堂ノ後古墳の周濠(しゅうごう)を切り崩してホケノ山古墳が築かれた可能性のある痕跡を確認し、堂ノ後古墳がホケノ山古墳より古いと推定していた。
しかし、市教委が今年6~7月、学生らがレーダー探査で前方部を見つけた場所を発掘調査したところ、出土した埴輪などは5世紀後半に作られた特徴があり、堂ノ後古墳が5世紀後半の築造と判断した。
レーダー探査の結果については、考古学の専門家から「短絡的に判断するのは危険。発掘調査して確認する必要がある」と指摘されていた。【高島博之】
[ 2009年12月21日 (毎日新聞)
2009年12月23日 Posted by かるの at 21:17 │Comments(0) │TrackBack(0) │考古学(埋蔵文化財)
正月に引き合う大俵できた!…会津坂下
大俵に巻くしめ縄の端を切る作業

福島県会津坂下町の正月の伝統行事「会津坂下初市大俵引き」に使う大俵が17日、完成した。
大俵引きは、約400年の歴史を誇る。下帯姿の参加者が東西に分かれて、大俵に付けたロープを引っ張り合い、東が勝てば、その年の米の価格が上がり、西が勝てば豊作になると伝えられている。毎年1月14日、町役場前で行われる初市のメーンイベントとして繰り広げられ、沿道は大勢の見物客でにぎわう。
大俵は、長さ4メートル、高さ2・5メートル、重さ5トン。今月1日から製作が始まり、この日は、町内の農協倉庫で稲わらの束で組んだしめ縄を大俵に巻いたり、不ぞろいの稲わらを切って整えたりする、仕上げ作業が行われた。
大俵引きを主催する町観光物産協会は、25日まで引き手を募集している。問い合わせは、同協会(0242・83・2111)へ。
[ 2009年12月18日 (読売新聞)
2009年12月23日 Posted by かるの at 09:16 │Comments(0) │TrackBack(0) │民俗行事
<坂本龍馬>寺田屋事件後の足取り記録 奉行所の報告書発見
伏見奉行所から京都所司代へ出された「寺田屋事件」に関する報告書の写し(右から4~5行目に「坂本龍馬所持至款写取奉差上候」とある)=高知県立坂本龍馬記念館で2009年12月15日午前11時6分、千脇康平撮影

坂本龍馬が伏見奉行所に襲撃され重傷を負った「寺田屋事件」について、事件直後の龍馬の足取りを詳細に記した同奉行所の報告書の写しが見つかり、15日、高知県立坂本龍馬記念館が発表した。同事件に関しては、これまで龍馬の手紙などでしか伝わっていなかったが、幕府側の資料が見つかるのは珍しいという。
報告書は2通で、京都所司代にあてたもの。手負いの龍馬が薩摩藩邸に向かう途中、「村上町」(現在の京都市伏見区)にある「近江屋三郎兵衛」の「材木納家」に逃げ込んだと記載されており、特定されていない詳細な場所が分かる可能性があるという。材木納屋には血に染まった所持品を残していたとの記載もあった。
また、龍馬は逃げる際、寺田屋に書類を忘れており、報告書には「坂本龍馬所持至款写取奉差上候」(坂本龍馬が持っていた書類の写しを差し上げます)と記されていた。
報告書は京都土佐藩邸が集めた1854~66年の資料計574点の中から見つかった。資料を手放そうとしていた京都市の収集家から土佐歴史資料研究会のメンバーがいったん購入し、同県が今月買い取った。
資料を分析している土佐山内家宝物資料館の渡部淳館長(46)は
「単なる回想ではなく、同時代の人が書いたもので臨場感があり、文章が躍っている。これからのドラマや本はもっと細かく描けるようになるだろう」
と話している。【千脇康平】
[ 2009年12月15日 (毎日新聞)


