<福俵引き>七福神が家人と綱引き 大分・天瀬町高塚


 福俵に付いた綱を引き合う七福神と家人=大分県日田市天瀬町高塚で2010年1月14日、野田武撮影

 高塚愛宕地蔵尊の門前町、大分県日田市天瀬町高塚で14日夜、新春の名物行事「福俵引き」があった。地域の若者が扮(ふん)した七福神が42戸を訪問し、大騒ぎで家人と幸運を呼ぶ福俵の綱引き合戦を演じた。

 地域おこしのため、四十数年前(一時中断)に始まった。色とりどりの衣装の七福神2組は地蔵尊に参拝後、町に繰り出した。民家の玄関に縁起物の五穀入り福俵(長さ約40センチ、直径20センチ)を投げ込み、「いおうち(祝って)くれ」「引いちょくれ」とはやし立てながら、家人と福俵の綱を引き合った。

 大抵は屈強な若者の七福神の勝ち。しかし、昨年中に結婚など慶事があった家庭では七福神が「必敗」し、4戸で景気よく福俵を引き渡した。【楢原義則】

[ 2010年1月15日 (毎日新聞)
  

2010年01月31日 Posted by かるの at 21:18Comments(0)TrackBack(0)歳時記

ゾルゲ事件で逮捕、画家の遺族に45年ぶり勲章


 遺族に授与された勲章と表彰状

 ゾルゲ事件で逮捕された画家の宮城与徳(1903~43)に対し、旧ソ連が45年前に授与を決めた勲章が13日、東京・港区のロシア大使館で遺族に贈られた。

 宮城は沖縄出身。1919年に渡米し、アメリカ共産党に入った。ゾルゲ事件研究家の渡部富哉さんによると、宮城は33年に帰国後、ソ連軍情報機関の 諜報 ( ちょうほう ) 員だったリヒャルト・ゾルゲと協力者の尾崎秀実との連絡役などを務めていたが、41年に逮捕され、43年に獄死した。

 ロシア大使館によると、宮城への勲章授与は65年1月19日付で決定されたが、遺族が見つからず手渡されることはなかった。しかし、宮城のめいで米ロサンゼルス在住の徳山敏子さん(81)が勲章のことを知り、ロシア政府への働きかけを知人に依頼。モスクワの大統領府の特別保管庫で勲章が見つかったとの連絡が先月末、ロシア大使館から知人にあったという。

 ミハイル・ベールイ大使から勲章を手渡された徳山さんは、
 「この両手で受け取るまでは半信半疑でした」
と感慨深げに話していた。


[ 2010年1月14日 (読売新聞)
  

2010年01月31日 Posted by かるの at 09:15Comments(0)TrackBack(0)近現代史

商売繁盛か豊作か…福島・会津美里で大俵引き


 紅白に分かれて、重さ3トンの大俵を引き合った=北村勤撮影

 重さが3トンある大俵を紅白に分かれて引き合う「大俵引き」が9日、福島県会津美里町で行われ、見物客をわかせた。

 法被と下帯姿の約100人が凍える寒さをものともせず、大俵から延びた綱を「ワッショイ」の威勢いい掛け声とともに力を込めて引いた。果敢な女性12人も二手に分かれて加わった。

 約400年前に初市にちなんで始まったとされる新春の恒例行事。赤が勝てば商売繁盛、白なら豊作の一年になると伝えられる。3回勝負で、昨年に続き白に軍配が上がると、沿道から「豊作間違いなし」の声が上がった。


[ 2010年1月9日 (読売新聞)
  

2010年01月30日 Posted by かるの at 21:17Comments(1)TrackBack(0)歳時記

新婚さんを手荒く祝福「婿押し祭」…福岡


 池に飛び込み、神酒だるの木片を奪い合う男たち(14日夜、福岡県春日市で)=浦上太介撮影

 昨年結婚した夫婦を手荒く祝福する「婿押し祭」が14日夜、福岡県春日市の春日神社で行われた。

 400年以上続くという伝統行事で、国の重要無形民俗文化財。今年は4組の夫婦が対象となった。午後8時40分頃、境内の池で酒だるを踏み割る「たるせり」が始まり、新郎と介添え役の男衆約50人が締め込み姿で飛び込んだ。

 身を切るような冷たさの中で男衆は体から湯気を上げて勇壮にぶつかり合い、幸運を招くとされる木片を奪い合った。拝殿で新郎を中心に体を押し合う「婿もみ」で祭りを締めくくった。


[ 2010年1月15日 (読売新聞)
  

2010年01月30日 Posted by かるの at 09:16Comments(0)TrackBack(0)民俗行事

東郷長官も愛用、舞鶴の老舗旅館が破産申請へ


 破産申し立ての準備に入った旅館「白糸」

 日露戦争の連合艦隊司令長官・東郷平八郎が愛用した宿として知られる京都府舞鶴市浜の老舗旅館「白糸」(荒賀正社長)が、業績不振のため破産申し立ての準備を進めていることが15日わかった。

 代理人弁護士によると、債務総額は約7億1500万円で、2月中にも京都地裁舞鶴支部に申請するという。

 白糸は1880年創業で、海軍舞鶴 鎮守府 ( ちんじゅふ ) の初代長官だった東郷が社交場として利用。戦前は旧宮内省御用達の宿で、1983年には現在の皇太子さまが、歴史の勉強のため同市を訪問された際、ご宿泊された。

 昨年12月28日から営業を停止。13日の取締役会で破産申し立てを決め、15日には債権者への通知を郵送したという。

  女将 ( おかみ ) の荒賀眞澄さんは
 「130年間多くの方に支援され、市民の財産という意識を持っていただいていた。本当に申し訳ない気持ちです」
と話した。


[ 2010年1月16日 (読売新聞)
  

2010年01月29日 Posted by かるの at 21:16Comments(0)TrackBack(0)地方文化

遊園地のSL、レールに38年ぶり復帰へ出発!


 搬出されるC61形(群馬県伊勢崎市の華蔵寺公園遊園地で)

 1973年に廃車になり、38年ぶりの現役復帰が決まった蒸気機関車「C61形」が19日、保存展示先の群馬県伊勢崎市の華蔵寺公園遊園地から運び出された。

 クレーンで台車やボイラー部分などに3分割された後、トレーラー車に積み込まれ、同公園を出発した。20日朝までにJR東日本大宮総合車両センター(さいたま市)に到着し、約3億円かけて整備される。来春以降、上越線の高崎―水上駅間を中心に営業運転する予定だ。

 この日は休園日だったが、地元住民や鉄道ファンらが別れを惜しむように作業を見守った。伊勢崎市の三田三郎さん(70)は
 「子供が小さい頃から姿を変えない機関車が走り出すなんて、うれしいね」
と話していた。


[ 2010年1月19日 (読売新聞)
  

2010年01月29日 Posted by かるの at 09:15Comments(0)TrackBack(0)文化財保護

<蓮如>真筆の掛け軸など寺宝盗難、買い戻し公開へ 愛知


 買い戻された蓮如上人真筆の掛け軸の一部(応仁寺提供)

 浄土真宗の中興の祖・蓮如上人(1415~99年)が創建した愛知県碧南市油渕町の応仁寺で、1987年に盗まれた蓮如上人真筆の掛け軸や仏像など49点のうち、掛け軸29点が骨董(こっとう)店で見つかり、寺が555万円で買い戻すことが決まった。【安間教雄】

 49点は寺の宝物蔵から盗まれた。上人真筆の名号や経文の掛け軸、肖像など上人関連の10点をはじめ、江戸中期から後期にかけて描かれた釈迦(しゃか)や聖徳太子、親鸞聖人、法然上人の絵伝が含まれる。蓮如上人関連の10点は当時、碧南市文化財に指定される直前で、盗難直後に管理責任者だった寺の世話方総代が責任を感じて自殺するという悲劇もあった。

 20年余を経た08年、骨董に詳しい同県西尾市の僧侶が骨董商を通して掛け軸29点を見つけ、応仁寺へ伝えた。中には上人真筆の名号「南無阿弥陀仏」や経文「能発一念喜愛心」など、碧南市文化財に指定予定だった4点も入っていた。

 刑事と民事の時効が過ぎていたため、寺の関係者で買い戻すべきかを協議。もともと寺の財産だったものを買い戻すことに抵抗もあり、当初は反対意見も多かったが、市文化財保護委員らの賛同で09年に買い戻しを決めた。交渉で555万円の支払価格が決まり、今年度中に200万円、残りを2012年度までに分割払いすることになった。

 応仁寺世話方代表の鳥居正己さんは
 「29点には応仁寺に欠かせない宝物も含まれ、失うと寺の存在意義が問われる。この機を逃せば入手が困難と考えた。地元住民が守ってきた寺の伝統を後世に継続したい」
と話している。


[ 2010年1月18日 (毎日新聞)
  

2010年01月28日 Posted by かるの at 21:16Comments(0)TrackBack(0)文化財保護

トルコ軍艦の鉄製クイか、引き揚げ開始…和歌山


 「エ号」が沈没した海底から引き揚げられた鉄製のクイ(和歌山県串本町で)

 和歌山県串本町沖で1890年に遭難したトルコ軍艦「エルトゥールル号」の遺品引き揚げ作業が17日、沈没地点とされる同町樫野埼沖の海底で始まった。

 この日は地元ダイバーを含む4人が潜り、周辺に 堆積 ( たいせき ) した砂利を取り除いたり、ブイを浮かせたりした後、50平方メートルの範囲(水深約12メートル)で調査。エ号の遺品かは判別できないものの、見つけた鉄製のクイ(長さ約70センチ)と陶器片などを引き揚げた。

 潜水作業は来月15日までに計約20日間行う予定で、調査団のトゥファン・トゥランル団長(57)は
 「天候にも恵まれ、順調な滑り出しで安心した」
といい、地元ダイバーの榎本広志さん(60)は
 「昨年の台風の波で、海底から新たな遺品が出ているかも知れない。ワクワクします」
と話した。


[ 2010年1月18日 (読売新聞)
  

2010年01月28日 Posted by かるの at 09:16Comments(0)TrackBack(0)考古学(埋蔵文化財)

<書道>平安中期の藤原佐理の書状を初公開 広島県福山市で


 福山市に寄贈されることが決まった藤原佐理の「頭弁帖」(ふくやま書道美術館提供)

 書道の大御所、三蹟(さんせき)の一人で平安時代中期に活躍した藤原佐理(ふじわらのすけまさ)の書状「頭弁帖(とうのべんじょう)」が今秋、広島県福山市で初公開される。佐理の真筆6点のうちの1点で、現在の所有者(非公表)から寄贈を受ける同市のふくやま書道美術館が、特別展を企画する。

 同美術館によると、頭弁帖は縦31.1センチ、横48.7センチ。天皇に奏上した内容が届けられず、途中で握りつぶされたことを嘆き訴えたもので、誰にあてた手紙かは不明という。

 佐理が最晩年の55歳、998(長徳4)年に京都で執筆したと推定される。連続する字を一筆で書き連ねる「連綿体」と単独の字で構成する書風は、青壮年期の力強く奔放な書風から、落ち着いた趣に変ぼうを遂げ、成熟を表すものとして評価されている。

 佐理の真筆6点では「離洛帖」と「詩懐紙」が国宝として有名だが、頭弁帖は現行の文化財保護法制定前の旧法で国の重要美術品に指定。06年4月に現所有者から寄託を受けた同美術館が研究・調査を進めていた。

 昨年2月に調査した東京国立博物館学芸研究部の島谷弘幸部長は
 「流れるような書風と字の絶妙な空間配置に佐理ならではの美意識がうかがえる」
と評価している。【豊田将志】


[ 2010年1月19日 (毎日新聞)
  

2010年01月27日 Posted by かるの at 21:16Comments(0)TrackBack(0)歴史史料

<青森ねぶた師>収益確保目指し研究所発足、後継者難克服へ



 日本最大の火祭り「青森ねぶた祭」で、ねぶた師が後継者不足に陥っている。
 ねぶたのデザインや制作だけでは生活できないためで、ねぶた師20年の竹浪比呂央(ひろお)さん(50)は22日、新たな収益を生み出そうと「ねぶた研究所」を青森市内で発足させる。
 「ねぶたに付加価値を付け、芸術としての新たな可能性も模索したい」
と、グッズ販売や講習会の開催なども手がける考えだ。

 研究所は、毎年5~7月にJR青森駅近くに建つ、ねぶたを作る「ねぶた小屋」をイメージした常設の作業小屋。弟子たちが通年でねぶた作りに打ち込めるようにするとともに、観光客がいつでもこれを見学できるようにする。デザインや商品に著作権を設定し、収益につなげることも検討している。

 約350万人の観光客を集めるねぶた祭り。主役は約20台の大型ねぶたで「ハネト」と呼ばれる踊り手とともに街に繰り出す。ねぶた師は現在12~13人いるが、1台の制作費400万~500万円の半分以上は材料費などに消え、1台作っても生活は困難だ。病気入院した場合の保障もなく、別の仕事を抱えながら取り組んでいる。

 竹浪さんもそんな一人。最高賞の「ねぶた大賞」を3回受賞し、ねぶたを海外に出陣させるなど活躍しているが、非常勤で薬剤師の仕事もかけ持ちしている。竹浪さんは
 「情熱だけでは食えない。このままでは途絶える。じっくり後継者を育成し、腕を磨いて新たな収益も見込める研究所にしたい」
と語った。【矢澤秀範】


[ 2010年1月21日 (毎日新聞)
  

2010年01月27日 Posted by かるの at 09:16Comments(0)TrackBack(0)文化財保護

古代エジプト中流階級の墓発見、習慣など解明の手掛かりに


  1月5日、古代エジプト中流階級の墓が発見され、考古最高評議会は習慣などを解明する手掛かりになると期待している。写真はサッカラ遺跡を調べる考古最高評議会のハワス事務局長(右)。提供写真(2010年 ロイター/Supreme Council of Antiquities)

 [カイロ 5日 ロイター]
 エジプトの首都カイロ南方約30キロにあるサッカラ遺跡でこのほど、約2500年前の古代エジプト中流階級が所有していたとみられる2つの墓が発見された。同階級の埋葬習慣などを知る上で貴重な資料だという。

 発見された墓は、エジプト第26王朝(紀元前664年―紀元前525年)時代のものとみられ、考古最高評議会のザヒ・ハワス事務局長は5日、
 「王族ではなくエジプトの中流階級が所有していたもので、名前が記されてない」
と説明。
 「多くの人に繰り返し使われており、当時の埋葬習慣や宗教について多くの情報を得られる可能性がある」
と話した。

 墓のうち1つは、サッカラ遺跡でこれまでに発見されたものとしては最大で、巨大な石室とそこに続く廊下や多くの小室が見つかっている。 

 墓はローマ時代末期に盗掘されたとみられ、何度か開けられた形跡があるが、多数の棺や人骨、動物のミイラ、土器などが残されており、これほど有名な同遺跡で盗掘されていない部屋が見つかるのは珍しいという。


[ 2010年1月6日
  

2010年01月26日 Posted by かるの at 21:17Comments(0)TrackBack(0)海外

大わらじみこしが練り歩き=山形県高畠町



 雪が積もる商店街を、さらし姿の男女が大わらじを載せたみこしをかついで練り歩き、1年の無病息災を祈願する催し「わらじみこし」がこのほど、山形県高畠町で行われた。

 みこし台を含めて長さは約4メートル、わらじは片足分だけでも約150キロの重さがあるため、みこし全体は約400キロになる。今年は地元の20~40代の男女約30人が担ぎ手として参加。沿道の両脇から清めの水を浴びせられながらも、威勢の良い掛け声とともに駆け抜け、大わらじを龍寿院大日如来坐像に奉納した。

 同町役場によると、江戸時代に湯殿山参拝客が旅の安全祈願にわらじを奉納していたのが「わらじみこし」の由来。一時は担ぎ手不足で中断していたが、1976年に元町地域の人々が復活させて以来、毎年冬の風物詩となっている。 



[ 2010年1月19日[時事通信社]

  

2010年01月26日 Posted by かるの at 09:17Comments(0)TrackBack(0)民俗行事

掛川市・平塚古墳 

 平塚古墳は掛川市にある。



 以下は当地にある説明板から。


掛川市指定文化財 平塚古墳

平成十三年二月二十七日指定
 種別 史跡
 所在地 掛川市上西郷
      二三八二、二三九〇、
      二三九一ノー一
所 有 者 法泉寺・中村清一・桑野英一

平塚古墳は、倉真川右岸の標高約50mの独立丘陵の先端にあり、平野から約2Omも高い位置にあります。ここからは、南方に位置する掛川城も遠くに望むことができますので、眺望の良い高所に築かれていることがわかります。
  これまで、直径約三〇m、高さ五mの円墳と言われてきましたが、平成十年の確認調査によって、一辺二〇~二五mの方墳であった可能性が出てきました。

 石室は、玄室の長さ5.25m、幅0.8m、羨道の長さ8.20mで、石室内には、ニ基の組合せ式箱形石棺が収められています。
 この石室からは、太刀・刀子・玉類・耳環・須恵器・土師器などが発見されたと伝えられています。平塚古墳が造られたのは、六世紀後半から末頃と推定され、この時期の掛川市の歴史を知る上で、とても重要な古墳となっています。

掛川市教育委員会



石室を覗く


石室上から覗く


 抱石
右が前の棺、左が後の棺の中の古墳の霊が逃げないように胸の上に置かれた石といわれています。


 古墳がある台地から南方を望む


  

2010年01月25日 Posted by かるの at 21:17Comments(0)TrackBack(0)遺跡を見ると、胸が騒ぐ…

伝統ウォームビズ「ねこ」で仕事=長野県



 「猫を背負ったように暖かい」-。
 長野県庁では、一部の職員が南木曽町に伝わる防寒着「ねこ」を着用して仕事に臨んでいる。
 はんてんに似ているが、前身ごろと袖がなく、作業の邪魔にならないのが特徴だ。最近では、上着の下にも着用できる薄手のねこも登場。町伝統のウォームビズは、庁舎内にじわじわ浸透している。

 南木曽町は県の南西部に位置し、古くから林業が盛ん。農閑期にはひのき笠やろくろ細工などの工芸品が作られるが、いろり端で作業する際に背中が寒くならないよう、ねこが使われてきた。名前の由来は「ねんねこばんてん」から取ったとされる説や、「猫のように温かいから」など諸説ある。同町の役場でも、半数以上の職員がねこを着用しているという。

 同町のねこは昨秋、町の特産品として売り出そうと、地元住民らが「なぎそねこ」としてブランド化した。伝統的な形状を守り、町民が手作りしたねこにオリジナルのタグを付け、品質を保証している。タグには、かわいらしい猫のシルエットもプリント。ブランド化には、県の「元気づくり支援金」を活用した。

 冬場は室温を19度に設定している長野県庁。同町出身の職員は「ねこがあれば、寒い日でも暖かさを感じられる」と自信たっぷり。別の観光部職員は「コピーなどで課外に出るときも、ねこを着ていく。行く先々で『それは何?』と話題になるよ」と話す。

 ねこは、大きさや使用する生地にもよるが、1着3500円程度。薄手のタイプは2500円ほどという。問い合わせは南木曽町役場商工観光係、電話0264(57)2001。 



[ 2010年1月20[時事通信社]

  

2010年01月25日 Posted by かるの at 09:16Comments(0)TrackBack(0)地方文化

若者4人が厳寒の荒行「寒中みそぎ祭り」


 水ごりをする行修者の若者

 豊漁豊作を祈願して、若者4人が厳寒の中で冷水を浴びる荒行を繰り返す「寒中みそぎ祭り」が13日、北海道木古内町の 佐女川 ( さめがわ ) 神社で始まった。

 江戸時代の1831年(天保2年)から同町に伝わる伝統行事。町内出身者から選ばれた「行修者」と呼ばれる4人の男性が、神事に入る報告の儀式を終えた後、午後7時すぎから神社前の広場で水ごりを開始。雪がちらつく中、ひざを地面につきながら腕を組み、気合の声を発しながら、冷水を頭から何度も浴びていた。

 4人は断続的に水ごりを繰り返して身を清め、15日には神社にまつられている4体のご神体を抱いて津軽海峡に飛び込む「海中みそぎ」を行う。


[ 2010年1月14日(読売新聞)
  

2010年01月24日 Posted by かるの at 21:16Comments(0)TrackBack(0)民俗行事

「MAPSHOP」が嘉永時代の江戸切絵図の販売を開始!

地図専門ショッピングサイト「MAPSHOP」では(運営 株式会社データクラフト(本社:札幌市 代表取締役:高橋昭憲))1月15日より「本郷谷中小石川駒込図」など3点の古地図(江戸切絵図)の販売を開始いたしました。

http://www.mapshop.co.jp/oldmap/print/kochizu.html


 MAPSHOPでは、注文を受けてから一点一点丁寧に印刷する「古地図印刷サービス」を行ってきましたが、今回新たに「深川之内 小名川ヨリ南之方一円」「巣鴨染井王子辺図」「本郷谷中小石川駒込図」を扱うことになりました。

 点在する下屋敷、網の目のようにめぐらされた掘割が目を引く隅田川近郊、江戸時代、中仙道一の宿場町として栄えていた板橋区近郊、神田川と不忍池は今と同じまま、東京ドームの場所に広大な屋敷があった文京区など、それぞれの街の嘉永時代の姿を地図を通して知ることができます。

 眺めるだけでもイメージが広がる風格ある古地図ですが、東京の歴史を知る資料として活用したり、散策スポットを歩く際のお供にして、現在のその場所の様子と見比べたり、様々な楽しみ方ができます。

 さらに、それぞれの地図の寸法に合わせて額縁のプロがオーダーメイドで額装するというサービスも行います。
「額装した古地図」は、インテリアとして、また個性あふれるプレゼントやギフトとしてもご活用いただけます。


[ 2010年1月15日(News2u.net)
  

2010年01月24日 Posted by かるの at 09:02Comments(0)TrackBack(0)歴史を学ぶ

歴女向けにウェブ開設 東北3県の「戦国浪漫」


 若者向けのデザイン

福島商工会議所青年部(福島市)は2009年12月下旬、宮城・山形・福島3県の史跡情報を発信するウェブサイト「戦国浪漫 南奥羽戦国記」を開設した。

伊達政宗や直江兼続、上杉景勝ら戦国時代に東北地方で活躍した武将に関連する城や古戦場など約200の史跡を紹介する。サイト製作にイラストレーター、也氏を起用するなど、若者や女性に親しみやすいデザインにした。

「歴女」と呼ばれる歴史に興味を持つ女性が増えており、武将ゆかりの地を巡る「聖地巡礼」が人気を集めている点に着目。サイトを「史跡の紹介の玄関口」と位置づけ、観光客を狙う。

[ 2010年1月8日 (J-CAST)
  

2010年01月23日 Posted by かるの at 21:17Comments(0)TrackBack(0)歴史イベント

ピラミッドは労働者が作った?墓群見つかる



 【カイロ=田尾茂樹】
 エジプトの首都カイロ近郊ギザにあるクフ王のピラミッド近くで、ピラミッドの建設に従事していた労働者のものとみられる墓群が見つかった。

 ホスニ文化相が10日発表した。

 発掘された遺物や骨などから、3大ピラミッドが建造された古代エジプト第4王朝時代(約4500年前)の墓群と判明。エジプト考古最高評議会のザヒ・ハワス事務局長は
 「墓はピラミッドのすぐそばにあり、建設したのが奴隷ではないことを示している」
と指摘。奴隷が携わったとの見方も根強いピラミッド建設時の労働実態を解明するうえで注目を集めている。

 墓は様々な形状で、周りを泥れんがで補強。監督役であることを示す文字が刻まれた石のほか、上流階級層から労働者に食用として野牛21頭、羊23頭が毎日、送られていたことを示す遺物もある。


[ 2010年1月13日 (読売新聞)
  

2010年01月23日 Posted by かるの at 09:16Comments(2)TrackBack(0)海外

墨塗って醜い顔、兵庫で「山の神」行事


 山の神で、顔に墨を塗る子どもたち

 顔に墨を塗った子どもたちが山の 祠 ( ほこら ) にお供えをする伝統行事・山の神が10日、兵庫県香美町香住区沖浦であった。

 地元の幼児から中学生までの15人が互いに筆で顔にひげなどを書いて供え物を運び、家内安全などを祈った。

 室町時代から続くとされ、 嫉妬 ( しっと ) 深く、醜い女の神である山の神に、子どもたちの顔が醜くみえるよう墨を塗る習わしとなっている。例年6日に行われるが、今年は新型インフルエンザの影響で学校の始業式が早まり、10日に延ばされた。

 子どもたちは顔に墨を塗り、「山の神のお祭りは……」などと言いながら約1キロ離れた祠に出発。赤飯のおにぎりなどを供え、「飯を食べる神を見ないように」との言い伝えを守り、振り向かずに帰った。町立柴山小5年の谷口冬馬君(10)は
 「面白い顔になったけど、かさかさして少しかゆい。今年は算数を頑張りたい」
と話した。


[ 2010年1月11日 (読売新聞)
  

2010年01月22日 Posted by かるの at 21:17Comments(0)TrackBack(0)民俗行事

<薩摩藩>長崎の蔵屋敷の写真発見…坂本龍馬の活動拠点か


 江戸時代に薩摩藩が長崎に設けた蔵屋敷の写真が長崎大学付属図書館(長崎市)で見つかった。商社「亀山社中」を設立して活動していた坂本龍馬も出入りしていたとみられ、研究者は「龍馬が長崎で活動していた時期に重なり、貴重だ」と話している。

 確認したのは、長崎の近世近代史に詳しい原田博二・長崎歴史文化研究所長(63)。所蔵する古い写真を超精細化して公開している長崎大のデータベースを調べる中で、長崎港近くで白塀に囲まれた武家屋敷の写真を発見。長崎歴史文化博物館(長崎市)に所蔵されている明治中期の地図と照合して薩摩藩蔵屋敷と特定した。

 英国人写真家のフェリックス・ベアト(1825年~?)による撮影で、「亀山社中」設立翌年の1866(慶応2)年に写されていた。ベアトは、長州藩と4カ国連合艦隊による下関戦争なども撮影している。

 龍馬は、薩摩藩家老の小松帯刀(1835~70年)の協力を得て亀山社中を設立した。薩摩藩蔵屋敷に出入りしたとの史料は残っていないが、後に京都や大坂(大阪)などでは薩摩藩邸を拠点としており、原田所長は
 「蔵屋敷には当時、お尋ね者だった長州藩の伊藤俊輔(博文)もかくまわれていた。龍馬も同様で、長崎で頼れるのは薩摩藩しかなかったはず」
とみる。

 長崎市銅座町にある蔵屋敷跡には現在、三菱UFJ信託銀行長崎支店が建つ。駐車場に立つクスノキは幕末当時から残るといわれ、今回見つかった写真でも確認されている。原田所長は「雄藩らしく、かなり立派な武家屋敷なのが分かる。龍馬の長崎での足跡がリアルに感じられる」と話している。【錦織祐一】

[毎日新聞12月31日]
  

2010年01月22日 Posted by かるの at 09:15Comments(0)TrackBack(0)人物伝