「横山城」に土塁改築跡 遺跡調査で初確認
改築跡が確認された土塁を示す市文化財保護センターの職員=長浜市の横山城遺跡で
羽柴秀吉が戦国大名・浅井氏攻めの拠点とした長浜市石田町の山城跡「横山城遺跡」で、敵の侵入を防ぐ「土塁」の改築跡や、建物跡を示す柱穴が初めて確認され、長浜市文化財保護センターが9日発表した。
南北の城跡のうち、7~9月の「南城」調査で分かった。土塁は遺跡西側にあり、高さ70センチ、幅4メートル。当初は岩盤を削って高さ50センチ、幅2メートルの規模で築き、後に土を加えて幅や高さを増した様子がうかがえるという。
センターは、周辺から出土した土師(はじ)器皿やくぎなどから、構築時期を16世紀以降と推定。横山城は1582(天正10)年に秀吉が、柴田勝家との戦いに備えて改修したと伝えられており、このとき土塁も改築された可能性があるという。
柱穴は、直径30~50センチで15個ほど見つかった。「掘っ立て柱建物で、城番の武将がいた場所の可能性がある」としている。
横山城は、北近江を治めた京極氏が支城として築き、16世紀前半に浅井氏が奪ったとされる。
1570(元亀元)年の姉川の合戦で織田信長側の手に落ち、浅井氏攻略のため秀吉が城番として陣取った。(近藤歩)
2009年9月10日中日新聞
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