姫路城  武家屋敷の遺構

かるの

2012年10月06日 14:18


◇築城直後の外曲輪 井戸や排水溝跡確認 発掘された井戸の遺構の深さを確認する市職員(姫路市平野町で)

 世界遺産・姫路城の大天守から南東約1キロの姫路市平野町で、築城期の溝や井戸の遺構が見つかり、市埋蔵文化財センターが27日、発表した。中下級の武家屋敷や寺社が並んだ中堀から外堀にかけての「外曲輪(そとぐるわ)」に位置しており、築城直後のまとまった遺構が確認されるのは初めて。同センターは「17世紀初頭の城下町の広がりや当時の生活を知る貴重な資料」。(桑田睦子、長野祐気)

 マンションの建設工事に伴い、8月21日に約600平方メートルの調査を開始。武家屋敷2軒が並んだとされる調査地から、直径約1メートル~1・5メートルの井戸5基、直径約1メートル~4メートルの土坑と呼ばれる穴約40基、排水溝とみられる溝約10本が見つかった。

 土坑や溝からは江戸時代初期から幕末にかけての土器や陶磁器を大量に発見。調査地西側の溝から見つかった17世紀初頭の土師器皿や唐津焼は築城した初代藩主・池田輝政から3代続く池田家の時代(1600~17年)に使われたものとみられる。同センターによると、外曲輪で築城から間もない時期の遺構が見つかるのは初めてで、城下町形成期の状況を知る上で、価値が高いという。

 さらに、この溝は、武家屋敷西側に立ち並ぶ寺院と区画を隔てる境界線の役割を果たしたとみられ、城下町の形成期から武家屋敷西側の隣接地に寺院が存在したことが裏付けられるという。

安永九年の文字が墨書された茶わん

 このほか、出土品の中には「安永九年」(1780年)の年号が墨書された茶わんやだるまの顔が描かれた陶器の蓋、銅銭、土人形もあった。地中に漆喰(しっくい)を塗り込めた穴はトイレとして使われたといい、江戸時代当時の人々の暮らしぶりがうかがえる。

(2012年9月28日 読売新聞)

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