「荒城の月」悲運の城主、空白の26年を解明

かるの

2012年06月02日 14:17

 山口県宇部市の郷土史家が、作曲家・滝廉太郎の「荒城の月」で知られる岡城(豊後国=現大分県の大半)の城主・志賀親次(ちかよし)の生涯を紹介する冊子を自費出版した。

 岡城を去ってから長州藩に移り住むまでの“空白の26年”を解明した1冊。「郷土ゆかりの戦国武将を後世に語り継いでほしい」と話している。

 出版した平山智昭さん(82)によると、宇部市小野地区の上宇内集落に親次の墓碑がある。同地区に子孫も住んでいるが、1593年に岡城を出て1619年に長州の美祢郡岩永村(現美祢市)に移り住むまでの26年間の動静は不明だった。

 平山さんは大分県竹田市など、親次ゆかりの地を巡って言い伝えや文献を調査。大坂夏の陣(1615年)に豊臣方として参戦して敗れた後、安芸、備後国(いずれも広島県)の領主福島正則らを頼り、毛利輝元に預けられた一連の足跡が判明したという。

 元小学校教諭の平山さんは約20年間、小野地区の埋もれた史跡や先人を研究。約3年前から親次をテーマに宇部、美祢、山陽小野田市で講演する傍ら、研究成果をまとめて3月に「志賀親次の生涯」を出版した。

 冊子では、親次が薩摩国(鹿児島と宮崎県の一部)の島津の大軍から岡城を死守した逸話を紹介。一方で、主君の大友義統(よしむね)が豊臣秀吉の怒りにふれて豊後国を追われたために自身も岡城を去らざるを得なかったことや、頼った福島正則も改易となるなど、悲運の生涯だったことも記している。

 岡城周辺にも志賀家の一族が住んでおり、平山さんは「出版が縁で、小野地区の親次の子孫との交流も実現すれば」と語る。

 約700部作成。B5判22ページで400円(税込み)。

 問い合わせは小野郷土史懇話会事務局(0836・64・2024)へ。(古田智夫)


(2012年6月23日 読売新聞)

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