豪移民資料、常設展示へ
串本町は、明治期から戦前にかけて大勢の住民が移り住んだオーストラリア北東部の木曜島(トレス市)に関する資料コーナーを、同町潮岬の潮岬休憩所に設ける準備を進めている。当時の資料を常時展示する施設は全国でも例がないという。真珠貝採取などのために木曜島へ渡航した日本人は延べ約7000人に上り、うち県出身者が8割を占めることもあり、町ではトレス市側にも提供を呼びかけ、展示物の充実を図るとしている。(大場久仁彦)
明治以降、木曜島は高級な貝ボタンや貝細工の原料となる真珠貝(白蝶貝)の採取が盛んとなり、紀南地方から多くの若者が移り住んで島の新たな産業の確立に貢献した。しかし、ダイバーらの仕事は過酷で、約700人が潜水病や遭難などで命を落としたとされる。
現地の日本人墓地に埋葬されている串本町出身者は162人おり、このうち127人の身元が判明している。同町は先人の功績をたたえようと、1998年に太平洋を望む潮岬の望楼の芝に顕彰碑を建立し、2007年には現地に墓参団を派遣。11年には、トレス市側からの強い働きかけもあり、友好都市提携を結んだ。
町は09年から、当時の記録を残そうと資料の調査をスタート。従来保管していたヘルメットや潜水服などに加え、遺族らから寄贈を受けた白蝶貝の殻や潜水時の重り、現地の写真、新聞記事など400点以上を収集し、町立図書館に保管している。
町が準備を進めている資料コーナーは、国が来年度に計画している潮岬休憩所の建て替えに合わせて設置される。現在の休憩所は1960年築で老朽化が進み、耐震基準も満たしていない。建て替え計画では、現在地の西側に、150平方メートルほどの平屋を建設する予定で、建物内の東側にガラスケースの展示コーナーを設ける。
移民の歴史に詳しい和歌山市民図書館司書の中谷智樹さんは「私の知る限り、木曜島の歴史的資料の常設展示は他に例がなく意義深い。使用された用具なども並べば、迫力あるものになるはず」と期待。同町産業課の谷岡幸司副課長は「展示を通じて、先人の功績と勇気を後世に語り継いでいきたい」と話している。
(2012年10月8日 読売新聞)
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