伝説の「牛石」復元へ、タガネ打つ氏子ら…日光二荒山神社

かるの

2009年04月22日 09:15


 復元に向け原石を刻む氏子たち

 大正時代ごろまで中禅寺湖畔にあった奇石「 牛石 ( うしいし ) 」の復元に乗り出した日光二荒山神社中宮祠(栃木県日光市中宮祠)は14日、氏子ら約30人が原石にタガネを打ち込んで復元作業を開始した。

 女人牛馬禁制を破って引いてこられた牛が石になったと伝えられる牛石は、同神社の前にあったが、いつしか形が変わってなくなったとされる。

 この日は、復元に使う男体山産の原石のお 祓 ( はら ) いをし、氏子を中心に新たに結成した「牛石友の会」(約80人)の会員らが次々と原石に向かいハンマーをふるった。砕いた石は、祈願石としてお守りにする。今後、観光客にも彫刻に参加してもらって、10月11日に完成する予定だ。

 同神社の斎藤芳史中宮祠部長は
 「参加者が多いほど、魂がこもって素晴らしい牛石になると思う」
と話していた。

[ 2009年4月15日 (読売新聞)


「牛石」みんなで復元しよう、日光・二荒山神社で丑年企画

 日光二荒山神社の新しい「牛石」にする予定の巨石

 日光二荒山神社中宮祠(栃木県日光市中宮祠)が4月から、 丑 ( うし ) 年にちなんで、神社前に大正時代頃まであった珍石「牛石」の復元に乗り出す。

 巨石を参拝者に牛の形に削ってもらい、10月に完成させ、無病息災を願って境内に安置する。

 かつての牛石は長さ230センチ、幅180センチ、厚さ90センチで、形が牛の横たわった姿のように見えたという。修験道の霊場として、奥日光は明治初期まで「女人牛馬禁制」だった。その禁を破って引いてこられた牛が、石になったと言い伝えられている。

 昭和初期の書物には、大正時代初めまであったこと、いつしか形が変わって片づけられたことが記述されている。地元の中宮祠自治会の小島喜美男会長は
 「大正3年の中宮祠大火の際に、石も焼けて、牛の形に見えなくなってしまったのではないか」
と推測する。

 新たな「牛石」になる巨石は、第1いろは坂の降り口付近に埋まっていた石英安山岩。かつての牛石よりやや大きめで重さ約7トン。
 4月14日(丑の日)に復元始祭を行い、加工に着手。下絵などを基に、参拝者にノミで石を削ってもらい、牛の形に整えていく。砕いた石をお守りとして記念に持ち帰ってもらうことも検討している。
 完成は10月11日(同)を予定。
 同神社の斎藤芳史中宮祠部長は
 「修験の歴史を後世に伝える意味でも牛石の復元に、多くの人に参加してほしい」
と話している。問い合わせは同神社(0288・55・0017)。

[ 2009年3月26日 (読売新聞)

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