800年前中井町で盗難、曽我兄弟仇討ち縁の仏像が山形で発見
山形県鶴岡市の龍雲院に安置されている大日如来坐像
鎌倉時代に中井町から「行方不明」になっていたとされる仏像が、山形県鶴岡市の寺院に保存されていることが分かった。持ち去ったとみられるのは、曽我兄弟の仇討(あだう)ちで討たれた工藤祐経の一族。伊豆から逃亡する際に一門の守護を願って運び出したとの伝承の存在が、最近になって一族の子孫から関係者を通じて町にもたらされた。現地で確認した中井町の住民らは、800年余の時を経て解きほぐされた謎にさらに迫ろうと、詳細な調査や両市町の交流を描いている。
もともとは中井町にあったとされているのは、鶴岡市大鳥地区の龍雲院にある大日如来坐像。青銅製で鎌倉時代の作とされ、市指定文化財となっている。
地元で語り継がれる「落人伝説」によると、源頼朝の配下にあった工藤祐経が曽我兄弟に討たれた後、身の危険を感じた弟の祐茂は伊豆を離れ、6年間の流浪の末、大鳥地区に村を開いた。この際、「相模の国田中の森」に鎮座していた大日如来像を持参していたと伝えられていた。
一方、中井町半分形(はぶがた)では、持ち去られた大日如来像の後継として作られた木製の如来像が自治会館に安置され、町の指定重要文化財にもなっている。
木製如来像の内部に納められていた「大日如来之記」には「俗(賊)難のために、行き方知れず」とあり、何者かに盗まれたため仏像を作り直したことが記されていたが、どこに持ち出されたかは杳(よう)として知れなかった。
出自と行く末の分からぬ二つの仏像を結んだのは、工藤一族の子孫に当たる斉藤登美子さん(72)=千葉県野田市。大鳥地区に伝わる大日如来像の由来記を昨年、書にしたためて奉納した際、「相模の国田中の森」の記述にあらためて注目した。何らかの手掛かりが得られればと、知人で厚木市に住む渡辺芳子さん(75)にも同じ書を提供。渡辺さんが「田中」という地名が実在する中井町に書を送るなどしたところ、行方不明になった仏像があることが分かった。「田中」は「半分形」に隣接している。
これを受け、今年3月まで町文化財保護委員を務めた森茂さん(79)=同町半分形=ら有志が6月に鶴岡を訪問。龍雲院で大日如来像を確認し、祐茂の墓にも参拝した。森さんは「まさか山形にあったとは驚いた。歴史の深みに触れた思い」と驚きつつ「如来像の年代測定は行っていないが、経緯などに関する記述は合致している。曽我に近い中井をなぜ通ったのかなど謎はたくさんある。今後も調査を続けたい」と歴史浪漫に思いをはせる。
(2012年7月22日 カナロコ)
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