造幣局を動かしたゲーム?『スペースインベーダー』伝説とは

かるの

2009年08月02日 21:16

 今から30年ほど前の1978年。高度経済成長華やかなりし時代に、日本中に大ブームを巻き起こし、“社会現象”と呼ばれるほどの人気を生んだ伝説のシューティングゲームがありました。

 その名も『スペースインベーダー』。家でなくゲームセンターや喫茶店など、外で遊ぶアーケードゲームです。その人気はすさまじく、当時の若者はこぞってゲームセンターや、インベーダーが置いてある喫茶店につどい、ゲーム機の上に100円玉を塔のように積み上げる“積みコイン”をしながら遊んだのだそう。

 日本中を熱狂の渦に巻き込んだというこのゲーム、いったいどれほどのブームだったのでしょうか? タイトーの広報、弓削和美さんにお聞きしました。

 「『スペースインベーダー』は日本のみならず世界にも輸出され、全部で26万台が販売されました。今ではあまり見かけなくなりましたが、テーブルのような形をしている機体が特徴でした。当時の人気はものすごく、100円玉の回収に行った営業マンが、あまりの重さにぎっくり腰になったというようなエピソードも残っています(笑)」

 日本中から大量の100円玉が回収され、置き場所に困ったタイトーは急きょ(金庫ではなく)倉庫を借りて、100円玉を詰めた箱を保管しなければならなかったほどだそう。

 さらに、1979年5月13日付の某大手経済新聞には、「インベーダーゲームで百円玉なくなる? 日銀が緊急対策」という内容の見出しで、インベーダーブームのせいで100円玉の流通量が減り、日銀が急きょ100円玉を増発したとの記事が掲載されています。

 ひとつのゲームがこのような社会現象を生んだとは…。なんでそんなにブームになったんでしょう?

 「テーブル型をしていることで、ゲームセンターだけではなく喫茶店や旅館にも置くことができ、それまでゲームに触ったことがなかった人にも届けることができた、というのが大きいでしょうね。ほかにも芸能人の方が、個人でアーケード用の筺体を購入しているとテレビやラジオで発言したりと、当時の“流行最先端”になったんです」

 敵をギリギリまで引き付けて撃つ“名古屋撃ち”と呼ばれる特別なテクニックや、得点でランキングが作られ、名前が入力できるなどの機能もブームの要因に。当時の新聞には、来日中のカーター米大統領(当時)の娘・エミーちゃんが『スペースインベーダー』を楽しんだという記事や、『スペースインベーダー』の機体が何台も盗まれたという記事、1日に3万円も『スペースインベーダー』につぎ込んだ人がいる…という記事まで掲載されていました。

 「それまでゲームを遊んだことがなかった人が初めてゲームに触れて起きたブームですから、当時のインパクトの大きさは、後のファミコンブームほどのものがあったと思います」

当時、日本中を熱狂に包んだ『スペースインベーダー』ブーム。人々が初めてテレビゲームの楽しさを知ったという意味では、うれしい“侵略者”だったのかも!?


(R25 - 07月18日 11:04)

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