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鮮やか 明治期の岡山市街図 大阪・松井さん発見
明治時代の岡山市街の木版地図を、大阪府守口市の松井淳さん(75)が見つけた。鮮やかな多色刷りで、後楽園など主要な場所が錦絵風に描かれている。古地図収集家の松井さんは「岡山のにぎわいが絵で分かり、当時としてはとても斬新」と感心している。
1年前に京都の古書市で50点ほどまとめ買いした中に含まれていた。
縦38センチ、横52センチ。「岡山區(区)市街圖(図)」と銘打たれ、東西は現在の門田屋敷から西川、南北は二日市町から広瀬町あたりまでで、周りはコマ割りのように区切られ、後楽園、県庁、岡山城、蓮昌寺、山陽新聞社の前身である山陽新報社など23カ所を絵で紹介。風景、建物や、そこに集まる人々が華やかな色調で表現されている。
「戸数 八千三百三拾(十)五戸」「人口 三万三千百貳(二)人」といったデータも記載。出版は「明治二十年十一月三十日」で、編集者や作画、彫刻を担当した人の名も見られる。
(山陽新聞)
2012年08月22日 Posted by かるの at 14:03 │Comments(0) │歴史史料
“250年前の山口”企画展「防長の絵図」始まる
萩往還の「行程記」などを紹介する県立美術館の企画展

山口市亀山町の県立美術館で、山口県などが8月末まで実施している観光交流キャンペーンに合わせた企画展「防長の絵図 美しき古地図の世界」が開かれている。8月26日まで。
山口県には周防、長門の両国をくまなく描写する大規模な国絵図や、歴史の道「萩往還」を細かく描写する行程記など全国でも高い評価を受ける絵図が多く残されている。
全国的にも貴重な絵図の中には、雪舟の流れを汲む雲谷派に学んだ人物による作例も含まれ、細やかな筆致と鮮やかな色彩からなる画面は当時の美麗な山口の姿を今に伝えている。
企画展では、江戸時代に描かれた古地図の中から、防長全域と萩往還を描いた絵図を中心に15点を展示。特に絵画的な美しさがあり、歴史の旅への興味をかき立てるような絵図を紹介している。
二井関成知事はオープニングセレモニーで、「繊細な筆遣いと鮮やかな色彩に包まれた古地図の世界に触れ、現在の街並みと比較をしながら250年前の山口への旅を堪能してほしい」と呼び掛けた。
関連イベントで、古地図を持ってまち歩きを楽しむ「ディスカバー!長州ウォーク」や、萩往還を語り部と歩くガイドウォークツアーなどがある。問い合わせは県観光振興課(TEL083・933・3170)へ。
(2012年7月28日(土)掲載)
2012年08月07日 Posted by かるの at 14:16 │Comments(0) │歴史史料
800年前中井町で盗難、曽我兄弟仇討ち縁の仏像が山形で発見
山形県鶴岡市の龍雲院に安置されている大日如来坐像

鎌倉時代に中井町から「行方不明」になっていたとされる仏像が、山形県鶴岡市の寺院に保存されていることが分かった。持ち去ったとみられるのは、曽我兄弟の仇討(あだう)ちで討たれた工藤祐経の一族。伊豆から逃亡する際に一門の守護を願って運び出したとの伝承の存在が、最近になって一族の子孫から関係者を通じて町にもたらされた。現地で確認した中井町の住民らは、800年余の時を経て解きほぐされた謎にさらに迫ろうと、詳細な調査や両市町の交流を描いている。
もともとは中井町にあったとされているのは、鶴岡市大鳥地区の龍雲院にある大日如来坐像。青銅製で鎌倉時代の作とされ、市指定文化財となっている。
地元で語り継がれる「落人伝説」によると、源頼朝の配下にあった工藤祐経が曽我兄弟に討たれた後、身の危険を感じた弟の祐茂は伊豆を離れ、6年間の流浪の末、大鳥地区に村を開いた。この際、「相模の国田中の森」に鎮座していた大日如来像を持参していたと伝えられていた。
一方、中井町半分形(はぶがた)では、持ち去られた大日如来像の後継として作られた木製の如来像が自治会館に安置され、町の指定重要文化財にもなっている。
木製如来像の内部に納められていた「大日如来之記」には「俗(賊)難のために、行き方知れず」とあり、何者かに盗まれたため仏像を作り直したことが記されていたが、どこに持ち出されたかは杳(よう)として知れなかった。
出自と行く末の分からぬ二つの仏像を結んだのは、工藤一族の子孫に当たる斉藤登美子さん(72)=千葉県野田市。大鳥地区に伝わる大日如来像の由来記を昨年、書にしたためて奉納した際、「相模の国田中の森」の記述にあらためて注目した。何らかの手掛かりが得られればと、知人で厚木市に住む渡辺芳子さん(75)にも同じ書を提供。渡辺さんが「田中」という地名が実在する中井町に書を送るなどしたところ、行方不明になった仏像があることが分かった。「田中」は「半分形」に隣接している。
これを受け、今年3月まで町文化財保護委員を務めた森茂さん(79)=同町半分形=ら有志が6月に鶴岡を訪問。龍雲院で大日如来像を確認し、祐茂の墓にも参拝した。森さんは「まさか山形にあったとは驚いた。歴史の深みに触れた思い」と驚きつつ「如来像の年代測定は行っていないが、経緯などに関する記述は合致している。曽我に近い中井をなぜ通ったのかなど謎はたくさんある。今後も調査を続けたい」と歴史浪漫に思いをはせる。
(2012年7月22日 カナロコ)