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八甲田山 雪中行軍の新写真


多くの犠牲者を出し小説や映画の題材になった、旧陸軍による青森・八甲田山の雪中行軍の生存者の写真が新たに見つかりました。
写真は人目につかない形で保管され、研究者は軍への責任追及を避けようと、意図的に隠された可能性があると指摘しています。

八甲田山の雪中行軍は、旧陸軍が日露戦争を目前にした明治35年1月、寒冷地での戦闘を想定して行ったもので、210人のうち199人が遭難して死亡しました。
新たに見つかったのは、病院に収容された5人の生存者の写真合わせて7枚で、救援部隊を呼ぶため1人で行軍を続けたとして、後に銅像が建立された後藤房之助伍長の写真も含まれています。
いずれも、東京・世田谷区にある陸上自衛隊衛生学校の史料室「彰古館」に保管されていた標本箱の台紙の下から発見されました。
去年3月の東日本大震災で標本箱が倒れた際に、台紙を留めていたくぎが偶然外れたため、台紙の下に写真があるのに学芸員が気付いたということです。
写真が人目につかない形で保管されていたことについて、青森市の八甲田山雪中行軍遭難資料館の松岡良美館長は「万が一この写真が流出して新聞などに掲載された場合、軍の責任追及につながるおそれがあった。それを避けようと意図的に隠された可能性がある」と指摘しています。


6月30日 NHK
  


2012年07月09日 Posted by かるの at 14:17Comments(0)近現代史

116年前の大津波、惨状鮮明に 収集家が写真48枚保存


 1896年に起きた明治三陸地震による大津波に襲われた被災地の写真48枚を共同通信は2日までに入手した。陸に打ち上げられた帆船、全壊した家屋、広範囲に散らばる流木、ぼうぜんとする人々など最大30メートル以上の大津波が岩手県沿岸に達し、死者2万人以上に上った116年前の惨状を鮮明にとらえている。明治時代の著名な写真師・中島待乳の遺品で、東京在住の古写真収集家、石黒敬章さん(70)が保存していた。

(2012年5月3日- 共同通信)
  


2012年05月22日 Posted by かるの at 14:17Comments(0)近現代史

A級戦犯の色紙、資料館に寄贈 笹森さん「戦争ない証し」



 戦後に戦犯が収容された巣鴨プリズン(東京)を慰問に訪れ、A級戦犯10人から寄せ書きの色紙を贈られた笹森恵子さん(79)が24日、広島市中区の原爆資料館に色紙を寄贈した。笹森さんは
 「色紙は二度と戦争がないようにという証しだ。私の戦争反対の思いが広がってほしい」
と語った。色紙は「容敬」という言葉の下に「木戸幸一」「賀屋興宣」など10人の署名が並ぶものと、ほかの戦犯らの名前も並ぶ計2枚。


(2012年2月24日- 共同通信)
  


2012年04月02日 Posted by かるの at 14:15Comments(0)近現代史