さよなら円形校舎 習志野
取り壊される2棟の円形校舎

習志野市立津田沼小学校(児童619人)の円形校舎2棟が、老朽化で近く解体される。築55年。9千人を超える卒業生が輩出した。27日、児童や卒業生、地域住民の「見納めの集い」があった。
1957年に東校舎、翌年に西校舎が完成した。直径29メートル、高さ15メートルの3階建て。校長室、職員室などの2階建て管理棟をはさんで両側にある。
「近くにあった木造の古い校舎から木の小さないすを持ち、アリの行列のように歩いて新しい円形校舎に引っ越したのを覚えている」。62年度卒業の製粉会社社長白鳥理一郎さん(61)は懐かしそうだ。
円形校舎は当時、敷地の有効利用と建材が少なく、建設コストが抑えられることから全国的に普及。国内に約100棟が現存するというが、老朽化で取り壊しが続く。市内でも市立第二中学校、習志野高校もかつて円形だった。
バームクーヘンを切ったような扇形の教室は中心側に黒板があり、後方がガラス窓。櫻井克美校長(58)は「教壇からは末広になるので、子どもたちの視線、表情を把握しやすかった」という。
教室は円形廊下でつながり、各フロアに二つある階段の一つはらせんだ。当時かららせん階段は上り専用で、下りは一般階段との決まりがある。
78年度卒業の布団店経営植草誠さん(46)は「たまにズルしてらせん階段を下りたことがある。『ルールを守れ』って先生に怒られた」との思い出がある。
一男一女も通うPTA役員伊藤希実子さん(41)は82年度卒。「円形の廊下はクラス替えで別々になった友達を探しやすかった。普通校舎だった中学校は長い廊下。会いに行きづらかった」
8月の夏休みには見学会があった。延べ13日間で卒業生の1割に当たる約1千人が訪れた。子どもたちは12月、隣接に完成する4階建て新校舎に移る。特別に設計された円形教室の2階図書室、3階音楽室が名残だ。 (佐々木和彦)

習志野市立津田沼小学校(児童619人)の円形校舎2棟が、老朽化で近く解体される。築55年。9千人を超える卒業生が輩出した。27日、児童や卒業生、地域住民の「見納めの集い」があった。
1957年に東校舎、翌年に西校舎が完成した。直径29メートル、高さ15メートルの3階建て。校長室、職員室などの2階建て管理棟をはさんで両側にある。
「近くにあった木造の古い校舎から木の小さないすを持ち、アリの行列のように歩いて新しい円形校舎に引っ越したのを覚えている」。62年度卒業の製粉会社社長白鳥理一郎さん(61)は懐かしそうだ。
円形校舎は当時、敷地の有効利用と建材が少なく、建設コストが抑えられることから全国的に普及。国内に約100棟が現存するというが、老朽化で取り壊しが続く。市内でも市立第二中学校、習志野高校もかつて円形だった。
バームクーヘンを切ったような扇形の教室は中心側に黒板があり、後方がガラス窓。櫻井克美校長(58)は「教壇からは末広になるので、子どもたちの視線、表情を把握しやすかった」という。
教室は円形廊下でつながり、各フロアに二つある階段の一つはらせんだ。当時かららせん階段は上り専用で、下りは一般階段との決まりがある。
78年度卒業の布団店経営植草誠さん(46)は「たまにズルしてらせん階段を下りたことがある。『ルールを守れ』って先生に怒られた」との思い出がある。
一男一女も通うPTA役員伊藤希実子さん(41)は82年度卒。「円形の廊下はクラス替えで別々になった友達を探しやすかった。普通校舎だった中学校は長い廊下。会いに行きづらかった」
8月の夏休みには見学会があった。延べ13日間で卒業生の1割に当たる約1千人が訪れた。子どもたちは12月、隣接に完成する4階建て新校舎に移る。特別に設計された円形教室の2階図書室、3階音楽室が名残だ。 (佐々木和彦)
2012年10月28日 朝日新聞
2012年11月06日 Posted byかるの at 14:16 │Comments(0) │文化財保護
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
|
|
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。