<堂ノ後古墳>国内最古でなかった 築造時期が判明

 堂ノ後古墳(奥)とホケノ山古墳(手前)=奈良県桜井市で2005年11月4日、本社ヘリから三村政司撮影
<堂ノ後古墳>国内最古でなかった 築造時期が判明
 国内最古の前方後円墳の可能性が指摘されていた奈良県桜井市の堂ノ後(どうのうしろ)古墳が、実際は5世紀後半の築造で、最古ではないことが市教委の発掘調査で分かった。同古墳は、天理大(同県天理市)の学生らのレーダー探査で、東隣の国内最古とされるホケノ山古墳(3世紀中ごろ)より古い時代に造られた可能性があるとされたが、出土した鳥の形をした埴輪(はにわ)の特徴から築造時期が判明した。

 学生らは05年1~2月、地上から電磁波を発射し、地盤構造や埋設物を画像化するレーダー探査を実施。それまで円墳と思われていた堂ノ後古墳の前方部を見つけた。さらに、堂ノ後古墳の周濠(しゅうごう)を切り崩してホケノ山古墳が築かれた可能性のある痕跡を確認し、堂ノ後古墳がホケノ山古墳より古いと推定していた。

 しかし、市教委が今年6~7月、学生らがレーダー探査で前方部を見つけた場所を発掘調査したところ、出土した埴輪などは5世紀後半に作られた特徴があり、堂ノ後古墳が5世紀後半の築造と判断した。

 レーダー探査の結果については、考古学の専門家から「短絡的に判断するのは危険。発掘調査して確認する必要がある」と指摘されていた。【高島博之】


[ 2009年12月21日 (毎日新聞)



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2009年12月23日 Posted byかるの at 21:17 │Comments(0)考古学(埋蔵文化財)

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