「大化の改新」後の宮殿白壁か、難波宮跡で発見


 難波長柄豊碕宮の宮殿に使われたとみられる白壁の破片=宇那木健一撮影
「大化の改新」後の宮殿白壁か、難波宮跡で発見
 大阪市中央区の 難波宮 ( なにわのみや ) 跡で、「大化の改新」のクーデター(645年)後に孝徳天皇が飛鳥から移した都「 難波長柄豊碕宮 ( なにわのながらのとよさきのみや ) 」の宮殿に使ったとみられる白壁の破片が見つかったと、市教育委員会などが13日発表した。

 宮殿の白壁は藤原宮や平城宮でも見つかっていないという。

 難波宮跡の東側からコンテナ25箱分の壁土(最大で約30センチ)が出土。一部に 漆喰 ( しっくい ) か白い土が塗られていた。

 日本書紀では都が飛鳥に戻った後の686年、火災に遭ったとしており、壁土はまとめて捨てられたらしい。

[ 2010年10月13日 (読売新聞)



同じカテゴリー(考古学(埋蔵文化財))の記事画像
古代山陰道の遺構か 鳥取
「冨」似た漢字墨書き 9世紀ごろの土器出土
元寇船の底板、二重構造…粗製乱造でなかった?
周溝含め全長90メートル超 「高岡1号古墳」
多賀城跡の政庁正殿、火災で建て替え 半世紀ぶり本格調査
姫路城  武家屋敷の遺構
同じカテゴリー(考古学(埋蔵文化財))の記事
 城の山古墳:大量の副葬品 公開も−胎内/新潟 (2012-11-05 14:15)
 古代山陰道の遺構か 鳥取 (2012-11-03 14:18)
 「冨」似た漢字墨書き 9世紀ごろの土器出土 (2012-10-31 14:16)
 南城市で1万2千年前の人骨など出土 (2012-10-26 14:04)
 元寇船の底板、二重構造…粗製乱造でなかった? (2012-10-22 14:04)
 江戸期の「甲斐金座」跡か 甲府中心街で出土  (2012-10-18 14:16)

2010年10月18日 Posted byかるの at 21:19 │Comments(0)考古学(埋蔵文化財)

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
「大化の改新」後の宮殿白壁か、難波宮跡で発見
    コメント(0)