「大化の改新」後の宮殿白壁か、難波宮跡で発見
難波長柄豊碕宮の宮殿に使われたとみられる白壁の破片=宇那木健一撮影

大阪市中央区の 難波宮 ( なにわのみや ) 跡で、「大化の改新」のクーデター(645年)後に孝徳天皇が飛鳥から移した都「 難波長柄豊碕宮 ( なにわのながらのとよさきのみや ) 」の宮殿に使ったとみられる白壁の破片が見つかったと、市教育委員会などが13日発表した。
宮殿の白壁は藤原宮や平城宮でも見つかっていないという。
難波宮跡の東側からコンテナ25箱分の壁土(最大で約30センチ)が出土。一部に 漆喰 ( しっくい ) か白い土が塗られていた。
日本書紀では都が飛鳥に戻った後の686年、火災に遭ったとしており、壁土はまとめて捨てられたらしい。
[ 2010年10月13日 (読売新聞)