空中茶室:石清水八幡宮で礎石見つかる 京都
「閑雲軒」の礎石。ここから約6.5メートル高い位置に床があったと見られる=京都府八幡市で2010年11月4日、玉置勝巳撮影

京都府八幡市の石清水八幡宮で、江戸時代前期に活躍した建築家で茶人の小堀遠州が手掛け、山腹のがけに突き出した「懸造(かけづく)り」の構造の茶室の礎石が見つかった。同市教委が4日、発表した。八幡宮のある男山の東斜面に浮かぶ“空中茶室”で、京都工芸繊維大学の中村昌生・名誉教授(建築史)は
「古典的な茶室では他に類例がない。雲上に遊ぶ気持ちで茶を楽しんだのだろう」
と話している。
礎石が見つかったのは、男山四十八坊といわれた宿坊の一つ、瀧本坊(たきのもとぼう)跡。「松花堂弁当」の名の由来にもなった茶人、松花堂昭乗(しょうかどうしょうじょう)(1584~1639年)が住職を務めており、古文書に1630年ごろ、昭乗が遠州とともに茶室「閑雲軒(かんうんけん)」を造ったという記録がある。
調査では標高約80メートル地点の斜面に、床柱の礎石3基を発見した。記録に残る瀧本坊の平面図と比較し、約8メートル突き出した形状が分かり、閑雲軒と断定した。懸造りは、京都の清水寺本堂舞台などの建築様式で、礎石から床までの高低差は最大約6.5メートルと見られる。
茶室の大きさは3.8メートル×5.4メートル。茶室の三方には明かりを演出する11の小窓があったとされる。茶室南側には、露地代わりの「臨渓(りんけい)」と呼ばれる縁側廊下(長さ8メートル、幅1メートル)が茶室に沿って真東に延び、眼下の景色が楽しめたとみられる。閑雲軒は瀧本坊と共に1773年に焼失し、坊が再建された時も復元されなかった。
中村名誉教授は
「遠州が山中の環境に合わせて設計した結果、ユニークな茶室が生まれたのだろう」
と話している。【玉置勝巳】
[ 2010年11月4日 (毎日新聞)