信長の小牧山城、石垣出土…安土城と同じ技術
小牧山城の石垣は2段に分かれ、上段と下段の間は通路となっていた

織田信長が1563年に初めて築いた愛知県小牧市の小牧山城で、石垣が築造当時のままの状態で出土したと市教委が28日、発表した。
本丸を巡る石垣の存在は分かっていたが、築造時の様子や石垣の構造などが初めて判明した。
石垣は史跡整備に伴う発掘調査で見つかった。2段(一部3段)構成で、高さは計4~5メートル。大きさ1メートルほど(重さ約2トン)の石を並べ、すきまに小さな石をつめる 野面積 ( のづらづ ) みで、上段と下段の間の平たん面は本丸を周回する通路であることも判明。安土城(滋賀県近江八幡市)とほぼ同じ技術で築かれていたことが明らかになった。また、当時敵対していた稲葉山城(岐阜市)と犬山城(愛知県犬山市)の方向を張り出させる本丸の設計にするため、頂上部分に厚さ2メートル以上の盛り土をして地形を変えていた。
[ 2011年3月1日(読売新聞)