東京都文京区・天祖神社
ある時は信仰の場であり、ある時には教育の場であり、ある時には経済の場である。
神社にはその土地の歴史が詰まっている・・・。
ここでは私が尋ねた神社を紹介します。



天祖神社は東京都文京区本駒込3-40-1に座する。


祭神は天照皇大神
例大祭は9月15日・16日

以下は当地にあった説明板から
江戸時代には駒込神明宮と呼ばれ、駒込村の総鎮守として信仰を集めた社である。祭神が天照大神であることから伊勢神宮の流れをくむ神明造りの神殿である。
社伝によれば、文治5年(1189)源頼朝が、奥州藤原泰衡追討の途中この当りに寄った折、夢で松の枝に幣がかかっているという神託があり、家臣藤九郎盛長に探させたところ、松の枝に大麻が見つかった。それで頼朝は神明を祀ったという。「江戸砂子」によれば、直径4尺(1.2m)余の神木であったが、享保年間(1716-36)に枯れた。
その後、宮守りもなく神社は跡絶え神木のもとに小さな祠のみとなったが、慶安年間(1648-52)堀丹後守利直が再興したという。
昭和20年2月25日空襲により焼失したが、戦後再建し、参道敷石の整備や大鳥居の建設、植樹などに心がけ、緑濃く落ち着いた雰囲気を持つ境内である。



神社にはその土地の歴史が詰まっている・・・。
ここでは私が尋ねた神社を紹介します。
天祖神社は東京都文京区本駒込3-40-1に座する。
祭神は天照皇大神
例大祭は9月15日・16日
以下は当地にあった説明板から
江戸時代には駒込神明宮と呼ばれ、駒込村の総鎮守として信仰を集めた社である。祭神が天照大神であることから伊勢神宮の流れをくむ神明造りの神殿である。
社伝によれば、文治5年(1189)源頼朝が、奥州藤原泰衡追討の途中この当りに寄った折、夢で松の枝に幣がかかっているという神託があり、家臣藤九郎盛長に探させたところ、松の枝に大麻が見つかった。それで頼朝は神明を祀ったという。「江戸砂子」によれば、直径4尺(1.2m)余の神木であったが、享保年間(1716-36)に枯れた。
その後、宮守りもなく神社は跡絶え神木のもとに小さな祠のみとなったが、慶安年間(1648-52)堀丹後守利直が再興したという。
昭和20年2月25日空襲により焼失したが、戦後再建し、参道敷石の整備や大鳥居の建設、植樹などに心がけ、緑濃く落ち着いた雰囲気を持つ境内である。