被災した古文書 地域の歴史、救い出すボランティア
東北大学(仙台市)の校舎の一角に、小さな作業場がある。机に向かうのはボランティアの主婦や学生たち。津波をかぶった古文書などを修復する作業が行われている。歴史的価値の高い資料の保全を行う文化財レスキュー(救援)の一コマだ。平成7年の阪神大震災でも、多くのボランティアが参加し、注目された。
NPO法人宮城歴史資料保全ネットワークが作業を始めたのは4月上旬。自治体や個人から依頼が相次いだ。「現時点で依頼されたものの1割ぐらいしか終わっていない」。NPO法人の活動を手伝う東北大学東北アジア研究センターの研究員、天野真志さん(30)は、そう話す。
破れないように紙を1枚ずつ丁寧にはがす。アルコールで除菌し、ペーパータオルなどで水分を取る。作業にマスクと手袋は欠かせない。異臭は強く、汚れがひどければ、もう一度、水道水で洗うこともある。
紙の種類も違えば筆記具も浸水の状態もそれぞれ。専門家はいない。試行錯誤だ。ボランティアの女子大生は、「丸1日作業してやっと1冊ということもあります」。仏像のような指定文化財をがれきから救い出して…というのは、ほんの一例にすぎない。東日本大震災における「文化を救う」現場のほとんどは地味で、草の根的だ。
■修復 ボランティアが活躍
「事前調査、緊急避難、応急処置、安定保存の4段階を想定して活動しています。現在は8割程度が応急処置の段階に入っている」。4月から文化庁が実施している「文化財レスキュー(救援)事業」に携わる東京文化財研究所保存修復科学センターの副センター長、岡田健さん(55)はそう話す。
◆課題は保管場所
早々に救出依頼があった宮城県内で主に活動してきた。4月下旬には石巻市の石巻文化センターのがれきの中から民俗資料などを運び出した。ほかにも計約30件について避難などを実施した。今後の課題は「どう保管するのか」に移りつつある。被災地の文化施設は、いつ復旧できるか分からない。同事業は来年3月31日までの期間限定。その後のことは不明だ。
東日本大震災では、国や地方による指定文化財の被害は意外に少なかった。何世紀にもわたり、津波や地震を経てきたゆえだろう。それよりも、近代以後の文化施設や歴史資料が深刻な危機に見舞われた。個人収蔵の文書などもそうだ。
指定文化財だけが文化なのではない。歴史資料を研究している東北大学教授、平川新(あらた)さん(60)が説明する。「古文書がなくなるということは、地域の歴史を知る上で大切なものが失われるということ。危機に直面したことは意識改革につながり、ボランティアをやってもらうことで理解も深まる。歴史学を市民のものにするような運動が被災地から起きればいいですね」
◆底をついた予算
そもそも大規模災害における文化財の救済について、公式マニュアルや国民的な合意はない。阪神大震災を機に関係者の間で危機感は高まっていた。しかし、今回も文化を守る活動は、地元の自助努力に委ねられたといっていい。
文化庁が音頭を取る文化財レスキュー事業でさえ、交通費や滞在費は、協力する文化・美術関係の団体や各施設が出し、職員がボランティアで参加した。しかし、震災後数カ月で各組織の乏しい予算は底をつき動けなくなった。
災害時にまず求められることは、人命救助と生活再建だということは間違いない。しかし、生き延びて、これからの街づくりや暮らしを考えるとき、文化や歴史が重みを持ってくる。宮城歴史資料保全ネットワークの活動は、平成15年の宮城県北部地震(最大震度6強)を機に始まった。天野さんはいう。
「自分たちの周りに文化財がどれぐらいあるのかに普段から目を向けておくこと。そうすれば、初動は早くできます」
大正12年の関東大震災直後、小説家の芥川龍之介は図書館の焼失を「取り返しのつかない損害」と嘆いたが、有形、無形の文化が危機にひんしているのは東日本大震災でも同じだ。伝統を守り、被災者を勇気づけるために芸術の助けを借りる…。大震災と文化の関係や役割を追った。
[ 2011年8月24日 (産経新聞)