京都・岡崎で巨大な水車のあった水路跡公開-保存訴え


水路について説明する冨家さん
京都・岡崎で巨大な水車のあった水路跡公開-保存訴え
 平安神宮(京都市左京区円勝寺町)近くの白川沿いにかつて巨大な水車が存在した水路跡の公開と古地図を使ったパネル展示が現在、行われている。今回の公開は、今年の春に続き2回目。

 水路は、大正6年に「竹中製麦所」の竹中亀吉さんによって開かれたもので、工場内の水車の動力を使い、麦をついていたという。国による食糧管理令の強化のため工場は昭和15年に閉じられた。「写真や詳しい記録は残っていないが、昭和19年頃までは水車が確認されていた」と亀吉さんの孫の竹中千恵子さん。

 昨年、千恵子さんが「京町家なんでも応援団」団長で一級建築士の冨家裕久さんに「かつて工場のあった空き地を見てほしい」と依頼したのがことのきっかけ。

 「水路の石の積み方を見ると、口伝の通り、行政による仕事ではなく民間で行ったものだとわかる」と冨家さん。「水路の幅が2メートルほどあるので、相当大きな水車で、水量もあったはず。水車小屋のように建物の横に水車があるということは一般的だが、家屋の中に水車があった例は珍しい」とも。

 かつて同様の水路は岡崎や夷川周辺に数多くあったもものの動力が電気に移行したことを契機に、大半が埋め立てられた。現在ではマンションなども建設され、ほかでは見られない。冨家さんは、「これは産業遺産として残さないとと思った」と初めて見たときのことを振りかえる。

 千恵子さんは「今、岡崎と言えば美術館や若い人向けのイベントをしている場所というイメージだが、かつては町工場が並んでいたエリア。そうした跡を残さなければ歴史も忘れられてしまう。皆さんの知恵をお借りしながら、市にも働きかけをしたい」と話す。


(2012年09月23日 烏山経済新聞)



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2012年10月04日 Posted byかるの at 14:15 │Comments(0)歴史を学ぶ

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