横光利一上海渡航時のメモ発見 日中戦争下の街、丹念に
「上海メモ」が記された横光利一の手帳

大正・昭和初期に「新感覚派」の中心作家として活躍した横光利一(1898~1947)が1938年に中国・上海に渡航した時のメモが見つかった。日中戦争が泥沼化する過程にあった上海の情景を、作家の目で丹念に書きとめている。未発表俳句なども記され、横光研究の貴重な資料となりそうだ。
メモは、山形県鶴岡市教委が収蔵する横光の資料から発見され、井上聰・日本大教授(中国文化史)が調査した。東京日日新聞社・大阪毎日新聞社(現・毎日新聞社)の37年製の社員手帳(横8.5センチ、縦15センチ、厚さ1センチ)に54ページにわたり鉛筆で記されていた。
横光は当時40歳。「上海」「機械」など代表作を既に発表し、川端康成らと並び文壇で重きをなしていた。36年に大阪毎日の社友となり、同年のベルリン五輪特派員も務めた。
メモによると、横光は38年11月26日に上海に着いたらしい。宿泊したホテルはメトロポール(現存)。<メトロポール前、三井物産、朝十時、まだ電燈つく。……ボーイが窓の掃除><その横の建物にはイギリスの旗。後の海関の塔の上に五色旗……広場の日光の中で子守り>などと、街の様子をリアルに伝えている。蒋介石政権下の上海で、旧満州国でも使われた五色旗が掲げられていたことが分かる。
井上教授は「横光は上海から『これが僕の部屋』と書いた絵はがきを夫人に送っているが、その『部屋』がメトロポールと特定できた。書簡などで推測するしかなかった上海への渡航自体、自筆のメモで確認できた意義は大きい」と話している。
一方、俳句は20句。<春の海サロンの弓弦揺れやまず><ニス匂ふ春灯の間より鴎見ん>など。素朴なスケッチ風だが、対象を見つめる小説家の冷静な目も感じられる。
メモの詳細は井上教授が来年3月、「横光利一研究」第7号に発表する。【米本浩二】
(毎日新聞)2008年11月9日