亡き妻思い、衰えに悩む…城山三郎さんの晩年の手帳発見

 昨年3月に79歳で亡くなった作家、城山三郎さんの晩年の手帳が見つかり、22日発売の「小説新潮」新年号に内容の一部が掲載される。

 備忘録と日記の役割を兼ね、妻に先立たれた男の寂しさや体力の衰えと戦う老いの心情を率直に物語っている。

 見つかったのは市販の手帳1998年~2006年版の9冊で、神奈川県茅ヶ崎市の仕事場の机などにあるのを、遺品を整理していた遺族が確認した。城山さんは日記をつけておらず、スケジュール管理用の手帳に、仕事や趣味のゴルフの記録に交じって、日々の心境を書き込んでいたらしい。

 98年の手帳では、夫人との旅行や会話の記述があり、熟年夫婦の仲の良さをのぞかせるが、00年2月に愛妻、容子さんが亡くなった後は、度々夢に見る妻への思慕の念を悲痛な文章でつづっている。

 「(結婚以来)46年積み上げてきたものが、一挙に崩され消されてしまった思い。残り百の望みが叶えられるとしても、e¨(ロシア語でヨウと発音。容子さんのこと)の命の千分の一、万分の一にも及ばない」(00年4月)

 「毎日のように雨、雨、雨。容子の死を悲しむように」(00年6月)

 「相変らず日に何度も『ママ!……』と話しかけている」(00年8月)

 「きみ 没 ( な ) くて いつもの 賑 ( にぎ ) わい クリスマス   久々に 妻の笑顔よ 夢 醒 ( さ ) めて 闇ひろがりぬ 闇きわまりぬ」(00年11月)


 また、
 「毎日が失せ物、毎日が物探し」(01年3月)
 「何というこの無力感。体のけだるさ」(06年7月)

という心身の衰えに悩みながら、死の3か月前には
 「もう、これからは楽しく、楽に、を最優先。他はまァええじゃないか」
との心境に至ったことが分かる。

 城山さんは、17歳で海軍に志願、戦後は、かつて自分がひかれた忠君愛国の「大義」などへの疑問から、経済小説を開拓、戦争小説も精力的に執筆し、組織と個人の関係を問い続けた。晩年のこの時期は、その集大成ともいえる「指揮官たちの特攻」(01年刊)や、死後刊行され29万部のベストセラーとなった結婚生活の回想録「そうか、もう君はいないのか」を執筆している。

 手帳の中には、
 「限られた余命だ。一つに絞って、e¨に集中しなければ、大きな悔いが残る」(03年1月)
などの記述もあり、愛する人を失った悲しみを書くに至った背景を知る上でも貴重な資料だ。そのほか、反対運動をした個人情報保護法案への不満を書きつづった記述もある。

 次女の井上紀子さん(49)は、
 「母の死の喪失感や老いへの焦りを経て、最晩年は楽に生きていこうと達観しており、私自身励まされた」
と話している。

 また、「小説新潮」新年号の校了前には99年の手帳が見つかっておらず、同誌には収録されないが、12月中旬に発見され、来年1月下旬発売の単行本化の際には収録されるという。

2008年12月18日 (読売新聞)



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2008年12月24日 Posted byかるの at 21:25 │Comments(0)人物伝

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