大和王権の鉄器生産拠点?鍛冶工房跡を出土…大阪・長原遺跡
長原遺跡で出土した5世紀前半の鍛冶工房跡(大阪市平野区で)=大阪市文化財協会提供

大阪市平野区の長原遺跡で、古墳時代中期の5世紀前半に鉄器を生産した 鍛冶 ( かじ ) 工房跡が出土していたことが、市文化財協会の調査でわかった。
百舌鳥 ( もず ) ・古市古墳群の大山古墳(仁徳天皇陵、堺市)など巨大古墳が築かれた「 倭 ( わ ) の五王」の時代に当たり、近畿で最古の鉄器生産遺構という。造営されて間もない古墳を壊して工房を設けていることから、当時の政権が関与しているのは確実で、同協会は「大和王権直営の鉄器生産拠点」とみている。
工房は、4世紀末から5世紀初めに造営された方墳跡に2棟建てられ、1棟ごとに一辺約8メートルの「コ」の字形の溝で区画。棟の間に井戸跡が見つかったほか、周囲からは炉にくべたとみられる大量の炭、排水や湿気よけに利用されたとみられる溝からは、鉄器製造の際に出た3センチ大の 鉄滓 ( てっさい ) が発見された。
[ 2009年1月12日(読売新聞)