<馬場南遺跡>仏堂跡を発見 文献にない寺院の本堂か 京都


 唐風の建物跡が発見された馬場南遺跡=京都府木津川市で2009年1月13日午後3時半、本社ヘリから小関勉撮影
<馬場南遺跡>仏堂跡を発見 文献にない寺院の本堂か 京都
 京都府木津川市教委は13日、万葉集の歌木簡が出土した同市木津の馬場南遺跡(8世紀中ごろ)で、仏像を安置する須弥壇(しゅみだん)やそれを取り巻く四天王像を備えていたとみられる仏堂跡が見つかったと発表した。付近では文献に記録のない「神雄寺」と書かれた墨書土器が出土。市教委はこれまで謎だった寺院の本堂の可能性が高いとみている。

 仏堂は幅4.9メートル、奥行き4.5メートルで、「ロ」の字形に礎石や柱穴が17カ所見つかった。本来なら、建物の周りの柱の内側に2重の柱で補強する建築様式が一般的だが、仏堂は外回り1周に配置した柱で全体を支えていた。また、背面と正面で柱間が異なっていた。中国・唐代のうち8~10世紀ごろの遺構によくみられる特徴という。

 仏堂跡からは、大人ほどの大きさがある四天王像の破片100点余りも出土。仏教の世界観の中心にあるとされる須弥山の破片がこれまでに見つかっており、須弥壇に安置されていた可能性もある。

 建物周辺では、灯明皿として用いられたとみられる土師器(はじき)約8000点が過去に出土。市教委は「大規模な燃灯供養が行われた特殊なお寺だったのでは」とみている。【谷田朋美】



[ 2009年1月14日 (毎日新聞)



「幻の神雄寺」に手がかり?塑像片出土…京都・馬場南遺跡

 本堂跡とみられる礎石や、塑像片が出土した現場(京都府木津川市の馬場南遺跡で)=菊政哲也撮影
<馬場南遺跡>仏堂跡を発見 文献にない寺院の本堂か 京都
 万葉歌木簡や「神雄寺」と墨書された土器、仏教の世界観を表す 須弥山 ( しゅみせん ) を表現した陶器「奈良三彩」が出土した京都府木津川市の馬場南遺跡(奈良時代中期-後期)で、寺院跡の礎石や「四天王像」とみられる塑像片が新たに見つかり、同市教委などが13日、発表した。

 同遺跡から、寺院にかかわる遺構が発見されたのは初めて。礎石は本堂のもので、須弥山の四方に等身大の四天王を安置していたとみられる。

 礎石は直径約30~50センチで5基見つかった。礎石を据え付けた穴もあり、東西4・9メートル、南北4・5メートルにわたり、0・9~1・6メートル間隔で、柱が並んでいたらしい。その内側に多数の瓦が方形に積み重なっており、中心部にも穴が1か所あった。その南側には僧侶が仏事をする 礼堂 ( らいどう ) とみられる掘っ立て柱建物跡(東西8・1メートル、南北4・2メートル)があった。

 市教委は「本堂の中央の穴は、須弥山を安置する台座の跡か、心柱の跡の可能性もある」としている。

 付近からは、塑像片が百数十点出土。 髷 ( まげ ) 、 甲冑 ( かっちゅう ) を着た胴体部、邪鬼の一部などがあり、そのうち目の部分の破片は出土位置から、須弥山の北東に配置される四天王像の一つの多聞天の一部とみられる。

 四天王は通常、本尊を守護する存在で、猪熊兼勝・京都橘大名誉教授(考古学)は
 「須弥山を祭る小寺院だった可能性もある。三彩陶器や塑像は高度な芸術性を伴っており、特異な寺院だ」
と話している。

 「神雄寺」については文献上、記載はなく、〈謎の寺〉だとされている。約100メートルの川跡(幅4~5メートル)では昨年、万葉歌の「 阿支波支乃之多波毛美智 ( あきはきのしたはもみち ) 」と書かれた木簡が出土。灯明をともした痕跡がある皿約8000枚も見つかっており、川跡の北側の広場で僧侶らが仏に灯明をささげる 燃灯供養 ( ねんとうくよう ) を行ったとみられる。



[ 2009年1月14日(読売新聞)



奈良中・後期の山林寺院=万葉木簡発見の馬場南遺跡-京都
 万葉集の歌が記された木簡が見つかった京都府木津川市の馬場南遺跡で、奈良時代中・後期の寺院の建物跡を発見したと、京都府埋蔵文化財調査研究センターなどが13日、発表した。同時期の寺院では見られない山林寺院の形態で、万葉歌の成立状況を知る上でも重要な手掛かりとなりそうだ。

 寺院は「本堂」に当たる建物(約5メートル四方)と「礼堂」に当たる簡素な造りの建物(東西8.1メートル、南北4.2メートル)で構成。本堂は8-10世紀の中国に見られる建築様式で、塑像の破片が百十数点見つかっており、四天王像が安置されていたと考えられるという。

 遺跡内の川跡からは「大殿」と墨書された土器なども出土。大殿は天皇家や高級貴族が利用する施設で、身分の高い人が法要を営んでいた可能性がある。「神雄寺」と墨書された土器の破片も見つかったが、文献にこの寺を指し示す記述は残っていないという。

 同遺跡からは昨年、万葉集に収められた読み人知らずの歌「秋萩の下葉もみちぬあらたまの月の経ゆけば風をいたみかも」の一部が万葉仮名で記された木簡が見つかった。 

[ 2009年1月13日[時事通信社]






京都山林に奈良期の寺院跡 高級貴族が建立か

  馬場南遺跡で見つかった寺院跡=13日午後、京都府木津川市
<馬場南遺跡>仏堂跡を発見 文献にない寺院の本堂か 京都
 京都府木津川市の山林にあり、万葉集の歌が書かれた木簡が出土した馬場南遺跡で、文献に記録がない730-780年ごろ(奈良時代中期-後期)の寺院跡が見つかり、同市教育委員会などが13日、発表した。天皇や大臣を示す「大殿」と書かれた皿の破片や、高級仏具の香炉なども出土。当時権勢を振るった橘氏、藤原氏ら高級貴族や、皇族が建立したと考えられるとされ、古代の氏寺の実態を示す貴重な遺構といえそうだ。



[ 2009年1月13日(共同通信)



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2009年01月20日 Posted byかるの at 21:26 │Comments(0)考古学(埋蔵文化財)

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