<旧日本軍地下壕>貴重な戦争遺跡か、危険な穴か 山梨

 太平洋戦争末期、旧日本軍が秘密の軍需工場として掘った山梨県韮崎市の地下壕(ごう)が、05年に鹿児島市の防空壕跡で起きた中学生の死亡事故以降、「危険な穴」として閉鎖され続けている。防空壕とは性質が違い、戦争の実態を知る遺跡として以前は見学ツアーも催されていただけに、関係者からは「価値を評価せず、しゃくし定規に閉鎖するのはおかしいのではないか」と疑問の声も出ている。【沢田勇】

 ◇防空壕事故受け閉鎖…市民ら見学復活求め


 地下壕は「七里岩(しちりいわ)」と呼ばれる台地にある。戦争末期の1945年3月、旧陸軍が戦闘機部品を造る「立川飛行機韮崎工場」として建設に着手し、月産150機分の部品を生産する計画だった。また、本土決戦に備えて政府機関などを移転させるため、44年11月に建設が始まった長野県「松代大本営」を守る役割もあったという。


 20本以上の壕が確認され、建設に使ったトロッコの枕木やつるはし、土砂崩落を防ぐ坑木などの遺構が残っており、教員や掘削に携わった元学生らによる「韮崎七里岩地下壕を保存する会」(高添藤政会長)は、戦争の実態を知ってもらおうと、10年ほど前から、市民や生徒らを対象にした見学ツアーを主催していた。


 しかし05年4月、鹿児島市の防空壕跡で中学生4人が一酸化炭素中毒死する事故が起き、国土交通省は全国計5003カ所の防空壕跡を封鎖するよう各自治体に通達。これを受け韮崎市は07年3月までに地下壕の入り口に金網フェンスを設け、立ち入り禁止とした。


 保存する会の向山三樹事務局長は
 「戦争を肌で感じられる貴重な遺跡。一定の安全を確保した上で、調査研究や見学に開放すべきではないか」
と訴える。


 韮崎市は「国の通達もあり、危険なので開放できない。新たな壕が確認されれば、今後も封鎖する」(総務課)との見解を示している。


 旧制中学時代、地下壕の掘削に動員された韮崎市神山町武田の功刀(くぬぎ)謙(ゆずる)さん(79)は
 「きちんと調査をして、公開するなら安全を確保し、本当に危険なら埋めてしまうべきだ」
との考えだ。



[毎日新聞1月13日]



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2009年01月18日 Posted byかるの at 21:26 │Comments(0)文化財保護

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