重光葵の遺品、生家で発見 段ボール7箱、手紙や手記
大分県杵築市の生家で見つかった重光葵の遺品

戦時中の東条英機内閣などで外相を務めた重光葵(しげみつ・まもる)(1887-1957)が、極東国際軍事裁判(東京裁判)の被告として巣鴨拘置所に収容されていた当時の手紙や手記など多くの遺品が大分県杵築市の生家で、8日までに見つかった。
段ボール7箱分で、「無迹庵」の名で公開されている生家の蔵から、おいの嶺男さんが昨年夏に発見。国立国会図書館に寄託され、研究が進められる予定だ。
[ 2009年3月8日 (共同通信)