中里遺跡・小田原市(2)
中里遺跡は神奈川県小田原市鴨宮にある。ロビンソン百貨店の建設に際して調査が行われた。
以下は当地にある説明板から
中里遺跡のあらまし

発掘調査の結果、第1地点で確認された集落は、当時の浅い川(自然流路)によって区画され、その範囲はおよそ30,000平方メートル以上にも及ぶ大規模なものと推定されます。
集落内からは、竪穴住居跡97軒、掘立柱建物跡(高床倉庫)68棟、土坑(ゴミ捨て穴ほか)824ケ所、井戸跡6ケ所などが発見されました。これらの建物跡には多いもので3回の建て替えが認められるものがあり、数世代に亘って集落が継続したものと考えられます。
この集落は、数十年間続いた後消滅しますが、再び、3世紀頃の弥生時代末になると、調査区の南西側の地区に周囲を溝で囲った環濠集落が出現します。
出土した遺物は、縄文時代の伝統を受け継ぐ中里式(須和田式)土器の他に、既に稲作時代を迎えていた瀬戸内地方東部(兵庫県神戸市周辺)で作られた土器である「瀬戸内系土器」も多く含まれていました。

中里遺跡から出土した関東地方最古の炭化米(籾が炭状になったもの)
また、稲作と共に日本に伝えられた「大陸系磨製石器」と呼ばれる、農工具などを製作するためオノやノミ、稲を摘み取る石包丁、土を耕すための石鍬、木鍬や寵類など稲作に関係する一連の遺物も発見されました。
さらに、炭化米(籾が炭状になったもの)、鹿や鳥の骨、桃や瓜科の種子など、食料の一部も多く出土しました。
こうした出土遺物は、中里遺跡の人々の豊かな暮らしぶりを知るとともに、この集落に稲作を中心とした新しい技術や文化が導入されたことを物語っています。
以下は当地にある説明板から
中里遺跡のあらまし

発掘調査の結果、第1地点で確認された集落は、当時の浅い川(自然流路)によって区画され、その範囲はおよそ30,000平方メートル以上にも及ぶ大規模なものと推定されます。
集落内からは、竪穴住居跡97軒、掘立柱建物跡(高床倉庫)68棟、土坑(ゴミ捨て穴ほか)824ケ所、井戸跡6ケ所などが発見されました。これらの建物跡には多いもので3回の建て替えが認められるものがあり、数世代に亘って集落が継続したものと考えられます。
この集落は、数十年間続いた後消滅しますが、再び、3世紀頃の弥生時代末になると、調査区の南西側の地区に周囲を溝で囲った環濠集落が出現します。
出土した遺物は、縄文時代の伝統を受け継ぐ中里式(須和田式)土器の他に、既に稲作時代を迎えていた瀬戸内地方東部(兵庫県神戸市周辺)で作られた土器である「瀬戸内系土器」も多く含まれていました。

中里遺跡から出土した関東地方最古の炭化米(籾が炭状になったもの)
また、稲作と共に日本に伝えられた「大陸系磨製石器」と呼ばれる、農工具などを製作するためオノやノミ、稲を摘み取る石包丁、土を耕すための石鍬、木鍬や寵類など稲作に関係する一連の遺物も発見されました。
さらに、炭化米(籾が炭状になったもの)、鹿や鳥の骨、桃や瓜科の種子など、食料の一部も多く出土しました。
こうした出土遺物は、中里遺跡の人々の豊かな暮らしぶりを知るとともに、この集落に稲作を中心とした新しい技術や文化が導入されたことを物語っています。