八王子城跡’ (1)縄張

八王子城跡は、戦国時代の終わり頃(16世紀後半)、北条氏照によって築かれた山城です。
広大な山地、その山麓、そして城山川に沿った谷間など、変化に富んだ地形を、巧みに利用して築城されています。主要部は山頂部に本丸を構え、東を城の大手(表口)、北を搦手(裏口)としています。
八王子城跡は、戦国時代を代表する城跡として、現在約154haの範囲が国の史跡に指定され、保護されています。
八王子城の縄張 八王子城の構造
八王子城は、深沢山(城山)山頂に本丸を置き、周辺に延びる尾根や細かく入り組んだ谷、麓の平地など、自然の地形を利用して築かれた戦国時代の城郭です。城の構造は、山頂や尾根は平らに削りとって大小の曲輪を何段にも並べ、建物を作りました。谷間には盛土して平地とし、館を構え、麓には屋敷割をして城下町をつくりました。山中を流れる城山川は堀として利用し、橋を架けることによって、防御の大きな役割を担っていたと思われまず。
八王子城跡は、約154haにもおよぶ広大な範囲が史跡の指定を受けていますが、その周辺にも当時の遺構が残っています。想像以上に大規模な縄張であったことがうかがえます。
八王子城は、その地形的な特徴や、防御の方法を考えると、いくつかの地区に分けられます、本丸など主郭を中心とした山頂付近とそれに続く尾根に造られた要害地区、御主殿跡など館跡と見られる居館地区、城下町となる根小屋地区に分けられます。その範囲は少なくとも、東西約2km、南北約1kmにおよんでいます。
現在でも、建物などを建てた曲輪の跡、石垣や堀切、土塁や通路の跡など、当時の遺構がよく残っています。八王子城跡は、全国的にみても、これら戦国時代の遺構をよく残す代表的な山城跡といえるでしょう。
要害地区
要害地区は、急な斜面で守られた城山山頂から尾根の上に造られています。
山頂付近には本九・松木・小宮曲輪があり、西側には詰の城と呼ばれる曲輪が残っています。合戦の時に籠城して戦うところで、兵糧を入れる倉庫などが建てられていたと思われます。今でも2ヵ所に当時の井戸が残されています。
居館地区
城山川沿いの山腹に御主殿と呼ばれる大きな館跡と、その東側にアシダ曲輪と呼ばれる曲輪が残っています。
御主殿跡は城主・北条氏照の居館跡とされ、アシダ曲輪は有力な家臣の屋敷跡と考えられています。
御主殿跡の調査では、大きな建物の跡や石を敷いた通路、溝などが発見されており、庭園もあったようです。
根小屋地区など
城山川に沿った、中宿付近が根小屋地区と呼ばれ、城への大手口として城下町の一部を形成していたと思われます。また、城山川の南側には細い尾根に連続して曲輪と堀切が並び、太鼓曲輪と呼ばれています。その他、小田野の曲輪群や、恩方方面の搦手口にも多くの遺構があり、城全体の守りを固めていたと思われます。