欽明天皇の宮殿?大型建物跡、桜井の遺跡で
脇本遺跡から出土した大型建物跡(今年3月)=県立橿原考古学研究所提供

5~6世紀に都が置かれた奈良県桜井市の「磯城」地域にある脇本遺跡で、6世紀後半~7世紀の大型建物や塀の跡などが出土し、県立橿原考古学研究所が3日、発表した。
大型建物は、欽明天皇(在位539~571年)の宮殿があったとされる時期にあたり、同研究所は「都と何らかの関係があった可能性がある」としている。
大型建物跡は、東西約7・5メートル、南北5・5メートル以上。6世紀後半に建てられたあと、6世紀末~7世紀初めに建て替えられていた。柱の直径は最初は38センチ、その後は48~58センチ。飛鳥の宮殿に匹敵する太さで、高層の建物だった可能性もあるという。
また、592年に推古天皇が同地域から飛鳥(同県明日香村)に宮殿を移した以降の柵跡(長さ約20メートル)や建物跡(1辺2・4~2・7メートル)も出土しており、遷都後も継続して、この場所が利用されていたことがうかがえる。
「磯城」は桜井市の三輪山西南麓付近の古代の地名。畿内から東海方面に通じる交通の要衝にあり、欽明天皇の「磯城島金刺宮」や「泊瀬柴籬宮」など、天皇の宮殿の伝承が数多く残る。過去の発掘調査では、雄略天皇(在位456~479年)の「泊瀬朝倉宮」ともされる5世紀後半の大型建物跡などが出土している。
[ 2010年6月3日 (読売新聞)