銅が木棺1700年守る…鏡から溶け出し防腐

 桜井茶臼山古墳の石室内に納められた木棺(2009年9月、代表撮影)
銅が木棺1700年守る…鏡から溶け出し防腐
 初期大和王権の大王級の墓とされる奈良県桜井市の桜井茶臼山古墳(3世紀末~4世紀初め)で、石室内の木棺に大量の銅が含まれていることが、県森林技術センター(高取町)などの調査でわかり、26日に関西大学(大阪府吹田市)で開かれた日本文化財科学会で報告された。

 石室に納められた銅鏡から、抗菌作用がある銅の成分が溶け出し、「防腐剤」になったとみられ、同センターは「木棺が約1700年間も残る一因になった」としている。

 木棺はコウヤマキ製で、長さ4・89メートル、幅0・75メートル、重さ264キロ。劣化が懸念されたため、昨年10月、県立橿原考古学研究所が石室から搬出後、採取した六つの木片(5~10ミリ角)を蛍光エックス線分析装置で調べた。

 自然界の木材や土壌に含まれる銅は平均で数ppm以下だが、すべての試料で100~800ppmを検出。石室には少なくとも81面の銅鏡を副葬したとみられることが、これまでの発掘調査などで判明しており、雨水で銅イオンが溶け出し、木棺にしみ込んだ可能性が高いという。

 また、木棺が残ったほかの理由に、耐久性が高いコウヤマキ製▽石室の高い密閉性▽石室に塗られていた水銀――といった項目も示された。

 同センターの酒井温子・主任研究員は
 「古代の人が木棺の腐食防止のために銅鏡を副葬したとは思えないが、結果的に保存効果をもたらした可能性が高い」
としている。


[ 2010年6月27日 (読売新聞)



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2010年07月06日 Posted byかるの at 21:16 │Comments(0)考古学(埋蔵文化財)

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