古代のため池跡発見=奈良・薩摩遺跡
古代のため池跡発見=排水設備見つかる-奈良・薩摩遺跡 (時事通信)
奈良県立橿原考古学研究所は9日、奈良県高取町の薩摩遺跡で、奈良時代末から平安時代初期にかけての造成とみられるため池の跡を発見したと発表した。大きさは東西約40メートル、南北約90メートル。
古代の造成池は、7世紀前半とされる大阪府大阪狭山市の狭山池(約4万平方メートル)があるが、大規模な池の発見は珍しく、同研究所は古代の土地開発の一端を知る手掛かりとみている。
ため池跡は、東西の尾根に囲まれた約4000平方メートルの区域内で見つかった。調査範囲の北端からは、木材を組み合わせた「木樋(もくひ)」と呼ばれる排水設備の一部が見つかった。長さ約115センチ、幅約50センチ、厚さ約25センチで管状になっており、中がくりぬかれている。
2008年12月9日[時事通信社]
古代のため池から施工者示す木簡出土…奈良・薩摩遺跡
取水口とみられる木樋(手前)とため池跡(奈良県高取町で)=枡田直也撮影
奈良県高取町の薩摩遺跡で、奈良時代末~平安時代初め(8世紀末~9世紀初め)のため池跡から、渡来系氏族の 檜前 ( ひのくま ) 一族が池を造ったことを示す木簡が出土し、県立橿原考古学研究所が9日、発表した。古代のため池の施工者が分かる例は極めて珍しいという。
ため池跡は東西約40メートル、南北約90メートル。北側が堤になっていたとみられ、角材の内部をくりぬいた 木樋 ( もくひ ) の一部(長さ1・15メートル、幅50センチ、厚さ25センチ)が見つかった。上面には取水穴を開けた 蓋 ( ふた ) があったと考えられ、穴に丸太を抜き差しして水量を調節したとみている。
また、樋の周囲から、木簡(長さ21・5センチ、幅4・1センチ、厚さ9ミリ)や、平安時代の銅銭が出土。木簡には「 波多里長 ( はたりちょう ) 檜前 主寸 ( すぐり ) 本なす」と墨書され、波多という里の長である檜前一族が工事を始めたことを示している。
檜前氏は、渡来系氏族・ 東漢氏 ( やまとのあやうじ ) の系統。渡来系氏族は高度な土木技術などを日本に伝えたとされ、技術を受け継いだ檜前氏が、ため池の工事を任されたとみられる。
2008年12月10日(読売新聞)