義経の愛馬?絶滅した野生馬復活計画始まる
粟島浦村の野馬公園にある野馬像。野生馬復活への期待が高まっている
新潟県村上市沖の離島・粟島(新潟県粟島浦村)で、古来生息していた野生馬を復活させる計画が始まった。
野生馬がどんな種だったかを調べ、それと同種の馬を繁殖させる。島には、野生馬の先祖を源義経が放した馬とする伝説も残っており、島民はロマンあふれる観光資源として期待している。
村教育委員会が郷土史家らと協力して出版した「あわしま風土記」や他の関係資料によると、粟島には遅くとも江戸時代には野生馬が生息したとされ、多いときには50~60頭がいたという。明治期に入ると、軍馬や農耕馬として本土に売られたりするようになり、1932年に最後の1頭が死んで絶滅したという。
野生馬の起源には諸説あるが、昭和~明治期の民俗研究家・高橋文太郎が「旅と伝説」に33年に書いた文には、源義経が奥州(現岩手県)へ落ち延びる途中、馬下村(現村上市)まで来たところ道が険しくなり、やむなく馬を放したが、その放された馬が海を泳いで粟島に渡り、繁殖した――という伝説が紹介されている。
粟島浦村では、収入の約3割を観光に頼っており、観光活性化が重要なテーマだ。そうした中、村は昨年3月、観光資源の開発を目的とした協議会を発足させ、話題性のある野生馬に着目したプロジェクトを始動した。
まず、そのルーツを探ろうと、国内在来馬に詳しい東京農業大の川嶋舟講師(動物介在療法学)に協力を仰いだ。今春以降、川嶋講師と、村に埋葬されていた最後の1頭の骨からDNAを採取し、木曽馬など日本在来馬8種のうちどの種に近いか鑑定を行う予定だ。その後、同じ種の馬を島に移送して繁殖させ、馬車や乗馬で1周23キロの島内を回ったり、馬と触れ合う広場を設置したりする事業に生かすつもりだ。
新年度には、馬の飼育係となる人材育成を進めるため、馬の飼育方法や島の環境整備のあり方を学ぶ村職員1人を新たに確保する方針。同村は「担当者には野生馬復活というロマンへの熱意を持った人になってもらいたい」として島内外を問わず、人材を募集する。
川嶋講師は
「粟島にどんな馬が存在していたかを明らかにする意味でも、ルーツを探ることは大変意義がある」
と評価。本保建男村長は
「釣りや海水浴だけでなく新しい観光資源でもっと観光客を呼び込みたい」
とし、
「観光客だけが楽しめるという産業ではなく、島の子どもたちが馬に触れあう光景が見られるようになれば」
と期待に胸を膨らませている。
[ 2010年2月23日 (読売新聞)