海水浴、鎌倉で発祥か…明治の軍医が効能紹介
明治時代の医学者が、1874年(明治7年)に海水浴の効能や方法、欧州での現況などを寄稿した記事を神奈川県鎌倉市職員鈴木伸治さん(59)が発見した。
鎌倉市の七里ヶ浜海岸で実験的に海水浴した上で書かれ、鈴木さんは
「鎌倉こそ海水浴発祥の地では」
と話している。
記事を寄稿したのは、適塾で知られる緒方洪庵の次男で、陸軍軍医監を務めた緒方 惟準 ( これよし ) (1843~1909年)ほか1人。寄稿は明治期の新聞「朝野新聞」の前身「公文通誌」の1874年8月9日付に掲載され、東大がマイクロフィルムで保存していた。
湘南の郷土史を趣味で研究している鈴木さんは数年前、読売新聞のCD―ROMで検索し、惟準が大磯の海水浴場開設の発起人にあてた手紙を引用した1886年の記事に気づいた。手紙に「明治7年に相州七里ヶ浜で海水浴を行い、西洋海水浴法と効能を朝野新聞に寄稿した。以来、海水浴場が各地に設けられるようになった」とあったのをヒントに寄稿に行き着いた。
寄稿は「海水浴」と題し、
「海水だけでなく、波動や新鮮な空気、遊泳などの運動によって効果を現す」
とし、慢性皮膚病、神経病など多くの疾患に効能があるとしている。
「時期は夏7、8月が良く、冬は健康に害がある」
などと書いている。
鈴木さんが注目したのは
「海水浴の効能を知る人はとても少ない。私たちは論文を書くことはもちろん、これを手始めに海水浴を広めることにした。(中略)海水浴場を設け、病気を治し、健康を守ることこそ私たちの願いだ」
と述べている点。明治10年代に海水浴場が設けられた大磯町や岡山県倉敷市などが海水浴発祥の地とされる場合が多いが、鈴木さんは
「全国に海水浴が広がった発端という惟準の後の記述から見ても、鎌倉・七里ヶ浜が発祥地の一つに名乗りを上げる資格はある」
と話している。
海水浴の歴史に詳しい上田卓爾・星稜女子短大教授(観光史)によると、1871年(明治4年)に横浜市金沢区で18歳の女性が医師を伴い、海水浴をしたことが外国人の著書に紹介されている。上田教授は
「発祥の地の考え方はいろいろあるが、(寄稿記事は)海水浴の方法に関する最古の記述といっていいだろう」
と話している。
[ 2010年6月27日(読売新聞)