<ヘリコプター>日本初のヘリ「古巣」へ 全日空前身が輸入
交通博物館から全日空に里帰りする「ベル47D-1」=窪田弘由記撮影
2年前に閉館した交通博物館(東京都千代田区)の天井にひっそりとつるされたレトロなヘリコプター。戦後の民間航空会社の草分けで全日空の前身「日本ヘリコプター輸送」(日ペリ)の開業を支えた2機のうちの1機だ。操縦ミスから事故1号機にもなった同機を「開業と安全のシンボルに」との声が全日空内で上がり、安全教育施設で展示されることになった。【窪田弘由記】
「ベル47D-1」型で、日ペリが開業に当たって1952年12月25日、米国から2機輸入した。毎日新聞社など報道機関とほぼ同時期に導入した日本最初のヘリだ。70年8月まで活躍し、全日空が創立20周年の記念として72年12月、博物館に寄贈した。
日ペリ初の業務は53年2月に始まった森永製菓のキャラメルと日華ゴム(現月星化成)の地下足袋の宣伝飛行だった。機体と垂れ幕に宣伝文句を掲げ、全国の校庭や公園などの上空に飛来すると、初めてのへリ見たさに2000人近くの見物客が集まったという。
日ペリ初の機長で、最後はボーイング727も操縦するなど、75年の引退までに当時の民間パイロットの最多乗務記録を作った神田好武さん(92)=大阪府吹田市=は
「開業までに間がなく、本番前の訓練はわずか2時間だけ。空中で静止するホバリングが難しかった」
と振り返る。
「戦後の国民に夢を与えた乗り物の一つで皆に愛された。私はすぐに旅客機の乗務に移されたが、名残惜しかった」
と懐かしむ。
古巣に戻るのは、松本理一郎・全日空グループ安全推進部主席部員の働きかけがきっかけ。
閉館前の博物館を見学した際、ヘリが新設の鉄道博物館(さいたま市)の趣旨に合わずに宙に浮くことを知り、交渉を重ねて引き取りを実現した。同機は53年5月、福岡県小倉市(現北九州市)の公園で、操縦ミスから中破する同社初の事故を経験。安全を考える資料にもと安全教育センターが入る全日空研修センター(大田区)を展示場所に選んだ。
社員らが11月29日に博物館で解体作業を行い、30日に研修センターで組み立てた。松本さんは「この1機から始まったと思うと感慨深い。安全を誓う資料として役立てたい」と話す。ヘリは教育センターを予約訪問した一般の人も見学できる。
2008年12月1日 (毎日新聞)