<豊臣秀吉>天下統一後の朱印状 岡山県津山市の旧家で発見
岡山県津山市で見つかった豊臣秀吉の朱印状=仁木尚治さん提供
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豊臣秀吉(1537〜98)が天下統一を果たした直後に出した朱印状(命令書)1通が、岡山県津山市の旧家で見つかった。秀吉が、近畿から平定直後の奥州(東北地方)までの約600キロに軍隊の食料補給基地を整備していたことが初めて判明。解読した東京大史料編纂(へんさん)所の山本博文教授(日本史)は「豊臣政権初期の緊迫感や用心深さが分かる貴重な資料だ」としている。
東京都杉並区の会社役員、仁木(にき)尚治さん(65)が、津山市の実家の倉庫を整理して見つけた。縦46センチ、横65センチの和紙を二つ折りにし、両面に文字をつづっていた。
朱印状には「よき所に蔵を作らせられ、諸人数(しょにんずう)に御兵糧下(ごひょうろうくだ)され候(そうろう)は、人夫召連(めしつ)れず早速に差(さ)し下され御成敗(ごせいばい)有(あ)るべしにて候」などと記されている。
山本教授によると、朱印状の日付は秀吉が関東地方の戦国大名・北条氏を滅ぼして約1カ月後の天正18(1590)年8月16日。宛先は豊臣家の重臣、浅野長政とみられる。近江(滋賀県)から下野国(栃木県)まで7カ国に新たに整備した食料補給基地を使い、奥州に向かうように指示している。奥州では朱印状が記された2カ月後、滅ぼされた大名の残党が反乱を起こしている。【井上元宏】
2012年6月7日 01時16分