戦前の京都府南部、克明に 1940年航空写真を発見
見つかった航空写真の西京区桂周辺。中央は桂川で、右上に西京極の野球場が見える。撮影技術の問題のためか、いびつに切り取られた写真がつなぎ合わされている(写真上)。宇治市などの旧巨椋池周辺。左下に終了間近の干拓事業の様子がうかがえる(写真下)
見つかった航空写真の西京区桂周辺。中央は桂川で、右上に西京極の野球場が見える。撮影技術の問題のためか、いびつに切り取られた写真がつなぎ合わされている(写真上)。宇治市などの旧巨椋池周辺。左下に終了間近の干拓事業の様子がうかがえる(写真下)

太平洋戦争直前の1940(昭和15)年に撮影された京都市南西部や宇治市など府南部の航空写真が、京都府立総合資料館(左京区)に残されていることが分かった。資料館によると、戦前の京都の航空写真は珍しく、干拓事業がほぼ終わった巨椋池の様子や大型観客席が完成したばかりの京都競馬場が写っている。資料館は「当時の開発の様子を克明に示す貴重な資料」として近く公開する。
府が都市計画図の作成のために撮った。表紙に「京都府都市計畫(けいかく)航空測量寫眞圖(しゃしんず)」とあり、昭和15年8月撮影と書かれている。縮尺は3千分の1。所蔵資料の整理で確認した。
見つかったのは白黒写真28枚。現在の京都市の伏見区や西京区など南西部と宇治市や向日市、長岡京市など府南部の一部が区画ごとに縦62センチ、横76センチで台紙に貼られている。都市計画図の対象である京都市中心部の写真は含まれていない。資料館は「開発が著しい地域に限定して撮影した可能性がある」とみている。
資料館によると、京都の広範囲にわたる航空写真は、27年に陸軍が撮影したとみられる京都市全域の写真が最古とされる。当時の都市計画図はおおむね5年おきに作られているが、35年から戦後の53年までの間は残っていない。資料館歴史資料課の福島幸宏主任は「図の作成に向けて撮影したが、翌年に戦争に突入して断念した可能性がある」と話す。
写真では住宅が1戸ごとに判別でき、西京区の桂地域などに住宅街の広がりが確認できる。宇治市にあった火薬庫など軍事施設や伏見区の明治天皇陵一帯は白塗りで加工してあり、資料館は機密保持の狙いがあるとみる。
劣化が著しいため、立命館大の矢野桂司教授(人文地理学)の研究室がデジタル化し、画像を6月中に資料館のホームページで公開する。窓口で申請すれば目的に応じて原本か複製を閲覧できる。
京都新聞