東京都文京区・暗闇坂
江戸時代は、加賀屋敷北裏側と片側寺町の間の坂で、樹木の生い茂った薄暗い寂しい坂であったのであろう。
江戸の庶民は、単純明快にこのような坂を暗闇坂と名づけた.23区内で同名の坂は12か所ほどある。区内では、白山5丁目の京華女子高校の裏側にもある。
この坂の東側鹿野氏邸(弥生2-4‐1)の塀に、挿絵画家、高畠華宵の記念碑がはめこまれている。華宵は、晩年鹿野氏の好意でこの邸内で療養中、昭和41年7月に亡くなった。大正から昭和にかけて、優艶で可憐な画風で若い人たちの大きな共感を呼んだ。