あらゆる道を網羅しているアスファルト舗装、その歴史は?
小さい子どもと歩いていてつくづく感じることがあります。子どもというのはなんとまあわざわざ面倒な道を歩くのだろうかということ。舗装されてない悪路を選ぶように歩いては喜んでいるわけですからね!しかし、思い返せば、私だって子どもの頃はそうでした。今では舗装されてない道を探すほうが難しいくらいの時代です。考えてみれば、デコボコ道を歩くのって結構大変。それだけでもいろいろな筋肉を使うことができるでしょうから、ちょっと惜しいことかもしれませんね。
道路が舗装された理由
それはそうと、そもそも道路がなぜ舗装されたのかと言えば、それは自動車の出現によるのでしょう。もちろん自動車は例えばアフリカの砂漠でラリーをしていたりもしますから、必ずしも道路が整備されていなければならないと言うわけではないはずです。しかし、安定して、かつ安全に走らせるためには道路の路面状態を良好に保たなければなりません。
ヨーロッパでは馬車が走行手段として使われていた時代があり、日本よりも早くから道路の舗装が必要とされてきました。イギリスでは、18世紀に土木技師のトマス•テルフォードとジョン•ルードン•マカダムという2人が、基盤に砕いた石の層をつくりその上に細かい石をまいてローラーで固める舗装方法を開発しています。これは、マカダム工法と呼ばれ、これが近代アスファルト舗装の始まりと言われています。
その後自動車が普及するに従い、新しい塗装方法が考案されていきます。骨材を結合する固結材としてアスファルト、セメントが検討され始め、次第に、自動車の乗り心地が良く、耐久性が高いアスファルト舗装が主流となりました。
アスファルトの原料の変化
現在のアスファルトは石油からつくられたものですが、自然界には天然のものが存在し、実は人間は自動車が出現するはるか古くからこれを接着剤として用いてきました。天然アスファルトが大規模に利用されたのは、紀元前3800年頃のチグリス・ユーフラテス河流域、現在のイラク地方に誕生した古代メソポタミア文明です。ここは石油の産地。天然アスファルトも豊富にあり、人々は「モノとモノをくっつける」ため、具体的には建築材料の粘結材や防水材として利用していました。
イラクのウル地方から出土した「ウルのスタンダード」は、紀元前2700年頃の壁画ですが、貝殻や宝石を天然アスファルトで接着しています。また、19世紀にアメリカで発見された原油の蒸留残存物が天然アスファルトに類似しているところから、石油アスファルトの開発も始まり、1902年には2万トンの石油アスファルトが生産されています。つまり、天然アスファルトの利用は紀元前にも関わらず、石油アスファルトの本格的な生産はようやく20世紀になってから行われているわけです。
では、日本はどうでしょう?縄文時代の日本では、天然アスファルトを使って石を棒につけ、槍にしていたことがわかっています。縄文遺跡の土偶には、欠けた部分を天然アスファルトで補修した例も見られ、青森県、秋田県、新潟県などの遺跡から、天然アスファルトが付着した矢尻や、アスファルトで補修された土器、土偶が多数出土しています。
しかし、馬車の歴史も浅く、それに続く自動車の導入も遅かった日本では、道路の本格的な舗装もなかなか始まりませんでした。
日本で最初のアスファルトを用いた舗装は、1878年、東京の神田昌平橋で施工された橋面舗装で、秋田産の土瀝青(天然アスファルト)が使用されました。その後、1910年に頃に、東京で路面改良にアスファルトが使用、関東大震災後に大規模なアスファルト道路も作られました。
しかし、本格的なアスファルト舗装はようやく第二次世界大戦が終わってからとなります。現在では交通条件、気候条件、地域の環境に対応して、高分子材料、樹脂などで改質したアスファルトが使用されるなど、使用目的に応じた高機能のアスファルトが開発されています。
(2012年2月16日- kmonos)