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水都の夏に船渡御ラッシュ…御霊神社、140年ぶり復活


 江戸時代、武士による勇壮な神事として知られた御霊(ごりょう)神社(大阪市中央区)の船渡御(ふなとぎょ)が7月15日、約140年ぶりに復活する。明治維新による武士階級の廃止で船渡御は消滅していたが、NPOや地元有志などの協力で復活が実現した。江戸期の最盛期には約5つの神社が船渡御を繰り広げていたという水都大阪に、今夏は大阪天満宮・天神祭(7月25日)、難波八阪神社(同13日)の3神社の船渡御が彩りをそえる。(袖中陽一)

 御霊神社の船渡御は安永9(1780)年に始まり、明治維新で中断されるまで約90年続いた。江戸時代、500人にも及ぶ武士らが甲冑(かっちゅう)姿で約20隻の船に乗り込んだ。その堂々とした威容は商都としては珍しく、夏の風物詩として親しまれたという。

 しかし、明治維新で氏子だった武士階級がなくなり船渡御も中断。武者行列だけは地元の氏子が存続させてきたが、平成7年の阪神大震災を機に武者行列も取りやめになった。

 今回、NPO「大阪城甲冑隊」の協力と地元有志らの資金援助があり、復活が実現した。御霊神社の園文夫宮司は「江戸時代の規模には及ばないが、大阪が『水の都』であることをアピールするとともに、震災や原発の問題で疲弊する東北に元気を届けたい」と語る。

 船渡御は、江戸時代後期には大阪の淀川水系全体で5つほどの神社で行われていたとされ、隆盛を極めていた。

 大阪天満宮では戦時中の中断などを経て昭和24年、難波八阪神社では平成13年にそれぞれ船渡御を復活。今では夏の風物詩として定着している。

 当日は午後3時、約40人の鎧(よろい)武者役の市民らが御霊神社を出発、淀屋橋付近まで練り歩き、3隻の船に乗り込んで堂島川、道頓堀川などを経て出発地まで戻るルートを約1時間半かけてめぐる。

 船渡御に詳しい大阪天満宮文化研究所研究員で大阪大学招聘(しょうへい)教授の高島幸次さんは、「船渡御は市中に水路が発達した大阪ならではの神事。船渡御といえば大阪天満宮の専売特許と思われてきたが、他の神社も加わることで『水の都』としての大阪の魅力がさらに増すだろう」と話している。

【用語解説】船渡御 御輿(みこし)などを船に乗せて巡航する神事のひとつ。氏子が住む地域をめぐり、地域の様子をご神霊に見ていただくのが目的。大阪は特に古くから市中で水運が発達し、大行列でもスムーズに動けるため盛んになったともいわれる。


[ 2011年6月22日 (産経新聞)
  


2011年06月26日 Posted by かるの at 14:16Comments(0)民俗行事