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「赤れんが」しばしの別れ…岩銀中ノ橋支店
◇店舗の歴史に幕
店舗としての営業を終えた岩手銀行中ノ橋支店(3日午後、盛岡市中ノ橋通で)
「赤れんが」店舗の最後の客を見送る行員たち(右)(3日午後2時58分、盛岡市の岩手銀行中ノ橋支店で)

国の重要文化財の銀行建築として全国で唯一現役の岩手銀行中ノ橋支店(盛岡市中ノ橋通)が3日、店舗としての役割に幕を下ろした。「赤れんが」の愛称で市民に親しまれてきた築101年の建物は今後改修され、2015年頃に一般公開される予定だ。
建物は1911年に旧盛岡銀行本店として建築された。設計はJR東京駅で知られる辰野金吾と、盛岡市出身の葛西萬司。赤れんがの壁に、ドーム屋根を載せた重厚な造りで、94年に重文に指定された。
老朽化が進み、建物を改修する予定だったが、東日本大震災で北隣の別館が被災。別館の跡地に建てた新店舗に移ることになった。
“現役引退”の日となったこの日、店舗内には「長年『赤レンガ』をご愛顧賜りありがとうございました」と書かれた横断幕が掲げられ、閉店時間の午後3時には、行員らがロビーに並んで利用客を見送った。新店舗は6日から営業する。
1世紀にわたって県都を見守り続けている「赤れんが」に愛着を持つ市民は多い。盛岡市西松園、元同行行員小山祐吾さん(78)もその一人。「盛岡のシンボルとして、築100年に合わせて記録を残そう」と、今年4月には小冊子「わたしの赤レンガ物語 盛岡銀行から殖銀まで」をまとめた。
小冊子には、1952年から37年間の行員生活で集めた、建設当時の写真や設計図などを掲載。古文書の読み方を学び、建設資材となった青森ヒバの調達方法なども突きとめ、紹介した。
小冊子はOBらに好評で、その後増刷。「赤れんが」がいかに親しまれているかを実感したという小山さんは「『赤れんが』は自分にとって心の古里のよう。一般公開されるまで長生きしないと」と話していた。
店舗としての営業を終えた岩手銀行中ノ橋支店(3日午後、盛岡市中ノ橋通で)
「赤れんが」店舗の最後の客を見送る行員たち(右)(3日午後2時58分、盛岡市の岩手銀行中ノ橋支店で)

国の重要文化財の銀行建築として全国で唯一現役の岩手銀行中ノ橋支店(盛岡市中ノ橋通)が3日、店舗としての役割に幕を下ろした。「赤れんが」の愛称で市民に親しまれてきた築101年の建物は今後改修され、2015年頃に一般公開される予定だ。
建物は1911年に旧盛岡銀行本店として建築された。設計はJR東京駅で知られる辰野金吾と、盛岡市出身の葛西萬司。赤れんがの壁に、ドーム屋根を載せた重厚な造りで、94年に重文に指定された。
老朽化が進み、建物を改修する予定だったが、東日本大震災で北隣の別館が被災。別館の跡地に建てた新店舗に移ることになった。
“現役引退”の日となったこの日、店舗内には「長年『赤レンガ』をご愛顧賜りありがとうございました」と書かれた横断幕が掲げられ、閉店時間の午後3時には、行員らがロビーに並んで利用客を見送った。新店舗は6日から営業する。
1世紀にわたって県都を見守り続けている「赤れんが」に愛着を持つ市民は多い。盛岡市西松園、元同行行員小山祐吾さん(78)もその一人。「盛岡のシンボルとして、築100年に合わせて記録を残そう」と、今年4月には小冊子「わたしの赤レンガ物語 盛岡銀行から殖銀まで」をまとめた。
小冊子には、1952年から37年間の行員生活で集めた、建設当時の写真や設計図などを掲載。古文書の読み方を学び、建設資材となった青森ヒバの調達方法なども突きとめ、紹介した。
小冊子はOBらに好評で、その後増刷。「赤れんが」がいかに親しまれているかを実感したという小山さんは「『赤れんが』は自分にとって心の古里のよう。一般公開されるまで長生きしないと」と話していた。
(2012年8月4日 読売新聞)