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「冨」似た漢字墨書き 9世紀ごろの土器出土


土器の底面に墨書きされた「冨」に似た文字(富士市教委提供)

 富士市厚原の「中桁・中ノ坪遺跡」(奈良時代~平安時代)で、「冨」に似た漢字が墨書きされた土器=写真=が出土した。土器は9世紀に作られたものとみられる。同市教委は「現在の『富士』や『富士山』の表記につながる出土品かもしれない」と期待を寄せている。

 「冨」に似た漢字は土器の底面に書かれている。富士山の「富」の字とは異なり「わかんむり」で、冠の下の「一」がないのが特徴だ。同市教委文化振興課によると、同遺跡の東の「東平遺跡」で2000年、「布自(ふじ)」と墨書きされた8世紀の土器が出土したほか、富士市今泉でも、今回と同じように読めそうだが判読不能の文字が書かれた土器が見つかった例があるという。

 同市教委の説明では、土器に墨で文字などを書いたものを「墨書土器」といい、地名や身分、方位が書き込まれているほか、「財」「吉」などめでたい言葉として漢字が書かれていることもある。今回の「冨」に似た漢字も同様の意味が込められている可能性があるが、「万葉集の時代にはこの地が『ふじ』と呼ばれていたことは明らかで、現在の表記である『富士』のルーツである可能性は否定できない」(同課埋蔵文化財調査室)という。

 同市教委は今後、さらに分析を進め、奈良時代から平安時代にかけての「富士」や「富士山」の姿を明らかにしていくという。


(2012年10月26日 読売新聞)
  


2012年10月31日 Posted by かるの at 14:16Comments(0)考古学(埋蔵文化財)

掛川市「山崎家」購入へ 郷土の文化財保全

所有者事情で取り壊し危機「格調高い和風建築」

 明治天皇が地方巡幸で宿泊された旧家「山崎家」(掛川市南西郷)。近代和風建築様式を伝える貴重な建物が所有者の事情で取り壊される恐れが浮上し、市は21日までに購入する方針を固めた。郷土の文化財を守るための「緊急避難的措置」(同市幹部)。市議会の承認を得た上で旧家を敷地ごと取得する。その後に本格調査を実施して、文化財として保存するかどうかを決める。
 山崎家は江戸時代後期から明治初期にかけての建築。木造2階建てで床面積は約600平方メートル。ヒノキやスギ、マツなどの無垢(むく)材をふんだんに使っている。
 明治天皇が宿泊されたのは1878(明治11)年。同様の民家で現存が確認できるのは全国約20カ所。同市によると、県内には方広寺(浜松市北区)に移築された新居宿の飯田本陣があるが、完全な形で残るのは山崎家だけという。
 建物などの所有者は東京都内在住の子孫ら。横山茂さん(86)が長年、住み込みで維持管理を続けている。最近になって相続の関係で建物が取り壊される可能性が出てきた。
 掛川市は23日の市議会全員協議会で取得方針を表明し、12月定例会で正式承認を得る考え。土地を含めた購入金額は1億円以上になる見込み。
 地元の郷土史家や建築関係者の間に保存を求める声は大きく、和風近代建築を研究する材木店経営の和田厚さん(64)=同市掛川=は「山崎家は掛川の発展に重要な役割を果たした。格調高い建物を残すことは歴史的にも意義深い」と主張する。

維持に地域の支え必要
 近代和風建築は文化財調査が他ジャンルに比べて遅れ気味で、老朽化や開発のための取り壊しが急速に進んでいる。掛川市の事例は今後、県内関係者の注目を集めそうだ。
 山崎家は敷地内に長屋門や蔵、枯山水庭園なども現存する。近代建築が専門で以前に現地調査した土屋和男常葉大准教授(44)は「建物は当時最良の大工と材料を使い、保存状態も良好。敷地と一体で残っていることに価値があり、県指定や国登録の文化財レベル。県民全体で保護を考えるべき」と訴える。
 同市議会で取得承認を得たとしても、維持管理の方法には議論が必要。全国的には文化財をホテルや結婚式場などに活用して保存する例もあり、県教委文化財保護課の柴雅房主席指導主事(49)は「人を呼び寄せ、維持費を稼ぐ仕組みが大切。市民の協力を取り付け、地域で支える必要がある」と指摘する。

 山崎家 江戸時代の掛川藩御用達で、葛布問屋として財を成した。明治期に掛川町最初の町長を務めた当主・山崎千三郎は掛川銀行を設立し、茶産業に資金を供給した。東海道本線の路線決定や大井川の広域水利事業などにも尽力し、自らの財力を活用して産業殖産を推し進めた。


(2012/10/22 at-s)
  


2012年10月30日 Posted by かるの at 14:15Comments(0)文化財保護

諏訪大社下社の御柱木遣り 町無形文化財に指定


 下諏訪町教育委員会は24日、同町木遣(きやり)保存会が継承する諏訪大社下社の御柱木遣(きや)りを、町無形文化財に指定したと発表した。指定日は10月1日。町教委は「保存にあたり、保持継承に取り組むための組織体制と活動がある。指定を通して長く唄(うた)われてきた木遣りを大切に後世へと伝えたい」と話している。

 町文化財専門委員会が2年前から調査・検討し、9月25日に指定が適当とする答申を行った。町指定文化財としては69件目で、うち無形文化財は同町第一区、第三区の「騎馬行列の所作」に続いて3件目となる。

 町教委によると下社の御柱木遣りは、曳行で唄うものとは別に、御柱の曳き出しの際に唄う「綱渡りの木遣り」、曳き着けた時に唄う「山の神返しの木遣り」といわれる独特の節回しを持った木遣りが特色。木遣りは曳行、難所、木落とし、建て御柱など各場面に応じた歌詞で唄われ、唄を受けて曳(ひ)き手が「コーレハサンノーウェー」の掛け声を掛けて力を結集する。

 町木遣保存会は、今年で創立50周年を迎えた。木遣りを歴史的価値の高い地域の伝統文化と位置付けて保存と継承、活用に力を入れ、年間を通して練習に取り組んでいる。50周年記念事業として11月3日に「全国木遣りサミット」を下諏訪総合文化センターで開くほか、昨年度から関連映像等の記録化や、小学生などへの木遣り出前講座など各種事業を行っている。

 同保存会の浜章吉会長は「木遣りは長い歴史の中で親から子へ、子から孫へ―と受け継がれてきた大切な伝統文化。今後も会員一同精進を重ね、先人が積み上げてきた伝統の保存に力を尽くしたい」と話した。


2012-10-25 長野日報
  


2012年10月29日 Posted by かるの at 14:17Comments(0)民俗行事